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鉄道の記録

別海町鉄道記念公園

令和7年8月11日,羽田空港からおよそ1時間半の飛行で 中標津空港に着いた。 空港から市街にある標津線中標津駅跡に出来た中標津バスターミナルまで行き そこで標津線の代替バスに乗り換えれば良いのだが,根室駅行きの空港バス以外に市街へ向かうバスはなく,さらに令和7年3月に 標津線の代替バスは標茶駅と西春別の間が廃止になって 運行も根室バスから阿寒バスに変更となっていた。 学校がある平日は朝夕の他に日中にも数本のバスが運行されていて 西春別18時ちょうど発のバスで中標津まで戻ってくることはできるが,明日以降に川北や標津へ路線バスで巡るのは現地で数時間待ちとなり効率が悪すぎるし,なにより釧路から摩周湖の南側までは快晴だったのが 中標津空港に着陸するほんの数分前から大雨となり,バスで回ることを諦めてレンタカーを借りることにした。 

中標津空港から西春別まで約30キロ西へと向かう。 中標津市街を抜けると雨が止み牧草地の中をひたすら走る,地図ではただ直線の道だが実際には起伏があり 上がったり下りたりを続けながら 30分ほどで西春別にある別海町鉄道記念公園に着いた。バス停の前に駐車場があって,別海町鉄道記念館の横にはバスの待合所らしき建物があったが 待合所にしては立派な建物でこの中にいたらバスが来てもわからないのではないかと思える。

 別海町鉄道記念公園には 手前から、樺太へ渡ったD51・ヨ3500・キ100が並び その少し先に西春別駅を模した島式ホームが作られてキハ22が停車している。D51は樺太向けにキャブに防寒対策がなされヘッドライトがとても大きく ナンバープレートの車番に[D51-27]とハイフンが入っている,樺太の鉄道は日本時代は狭軌だったため戦後もずっと狭軌のままで使われていたらしいがソ連崩壊後にロシア式の広軌に改修されていったらしい。 次のヨ4642だが形式はヨ3500で名寄のキマロキ編成でも残っているなど北海道内に相当数残っている。 ラッセル車のキ276,形式はキ100で高山市で9600と並んで保存されているなど これも各地に保存されている。

そして,これら3両とは少し離れてキハ22-239が西春別駅のホームに到着している。 実際に駅があった場所らしいがホームがこの位置だったのかはわからない。 JR化されてから標津線は廃止になったので車体にはJRの文字が入っている。 首都圏色に塗られた車体はかなり色が抜けてきていて 屋根や車体にも錆汚れなどの傷みが出ている,今のうちに補修してほしいが費用はかなりな金額になるだろうから無理か。

バス停の時刻表によると、令和7年5月現在で 標津から中標津を経て,ここ西春別駅前バスターミナルまでの阿寒バスと 別海町による地域生活バスが町立別海病院から一旦ここ西春別駅前バスターミナルへ来てから 5キロほど今きた道を西春別まで戻る路線がある。 西春別というバス停が終点だが町立別海病院から来たバスは(終点となる)西春別バス停を通って ここ西春別駅前バスターミナルへ来るため バスの行き先は西春別と表示される。 

西春別のキハ22
西春別のヨ3500
西春別のキ100

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鉄道の記録

志布志鉄道記念公園

日南線の終点 志布志駅は,いまは片式ホームに留置線が数本だけの駅になってしまっているが 以前は,大隅線や志布志線が接続する鉄道の要衝であり 志布志機関区もあった。元の駅舎跡にはショッピングセンターが建ち その東側に志布志機関区があって 今はその跡が鉄道記念公園になっている。

ワンマン運転で、この志布志駅には駅員が配置されておらず 運転士が切符の回収や運賃の精算をおこなっていた。キハ40を降りて,駅舎をそのままとおりぬけるとバスターミナルになっていた 鹿屋や都城などへのバスが発着するようだ。バスターミナルを迂回し通りを渡り,ショッピングセンターに入るいろいろなテナントが入っていて賑わっているが,先にある機関車を目指して通り抜けると屋外にうどん店があって その先にC58が見えた。

C58,志布志機関区の主力機だったらしく さよならSL運転の特別列車はC58が重連で貨車を牽いたようだ。ここに保存されているC58 112号機は 小倉式K-9型デフを備えているが,現存する車両はこれ一両ではないだろうか 他には見たことがないし存在を聞いたこともない。後ろにヨ8000が連結されていて,積み出し港としての志布志港への貨物列車も多く走ったのだろうが 志布志線や大隅線にヨ8000が使われていたのだろうか。

もう1両のキハ52は ヨ8000とは連結されていない。以前はJR九州色の白地に青線だったようだが,国鉄色に塗り直されたようで 今回訪れた時C58は塗装が痛んでいて剥がれも見られたが キハ52は綺麗に塗り直された後のようで綺麗だった。 連結器やジャンパ栓などもきちんと残っていて参考になった。

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鉄道の記録

C11 191 (宮崎市)

宮崎駅の西口を出るとバスターミナルがある。 案内所や路線図が見つからなかったので 目指す児童交通遊園に近い「橘通り四丁目」には ネットで調べておいた 西都バスセンター行きに二番乗り場から乗った。 駅前をまっすぐ進み大きな交差点を右折し「橘通り四丁目」に着いた,料金は210円だった。

 このハス亭の時刻表によると(令和7年5月3日にて) 1:宮崎神宮・304:綾・305:酒泉の杜・20,21:平和が丘・22,24,25:古賀総合病院・2:文化公園・15:イオンモール宮崎・105,106,107:高鍋・103:佐土原高校前・200:西都バスセンター・202:妻高校前・101,111:日大高校・102:石崎の杜歓鯨館・11:フェニックス自然動物園 これらのバスがここを通るが 朝だけや午前中は多くても午後は少ないなど 路線によってばらつきがある。 バスを降りて、大きな通り(国道10号線)をそのまま先へ進み 信号のある交差点を1つ過ぎて次の信号のある交差点を左折する,一方通行の道を歩いていくと右手に中学校があって この宮崎西中学校から西中正門通りという道の名が付いたようだ。 その宮崎西中学校を過ぎてその隣りが児童交通遊園で歩道からコッペルが見えてすぐわかる。

 前補機にコッペル、本務機がC11-191 という並びだが 両機の間は空いている。 塗装がかなり痛んでいる上に周りの樹木の影響なのか汚れもひどい。 手入れはしばらくされていないようだが、そろそろ修繕をしないと解体処分するしかなくなりそうだ。 コッペルは宮崎交通で使用されていたもので、ナローではなく狭軌1067ミリだが自動連結器ではなくネジ式連結器だ。 C11のデフは門司鉄ではないが経歴を調べてみると宮崎交通で走っていたコッペルとは違い,こちらは東北から九州に渡ってきてもここ宮崎区には縁がなかったようだが、石炭庫の通風穴は開いていて左右タンクの揺れ止めアーチもあるので一部九州仕様といったところか。

 帰り道、バス停まで戻ってきたが宮崎駅行きのバスがしばらく来ない、天気も良いので宮崎駅まで歩いてみたら およそ30分だった。 

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鉄道で道行

快速日南マリーン号(南宮崎ー志布志,1929D)

令和7年5月4日,日豊本線南宮崎駅に降りた。
その南宮崎駅4番線に日南線志布志駅からの1926Dが8:23に到着した。 キハ40の二両編成で到着したが ここで宮崎駅寄りの一両にだけに行先表示「志布志」が差し込まれてから引き上げ線へと回送され,留置線に入ってから一両づつに切り離された 志布志までこの車両が使用される つまり単行だ。

8:53, 4番線に青島駅から1928Dがキハ47の二両編成で到着した,到着時間と快速日南マリーン号の発車時間からすると この1928Dが折り返すようにも思えるが実際は違い,このキハ47の二両編成も引き上げて行って 空いた4番線に先ほどの1926Dのうちの一両が留置線から9:10に入線してきた。 4番線には乗車位置の案内がないので,ホームで待つ人たちは一両編成とは思っていないのか二両目や三両目の位置までおられて 乗車位置案内がないことが不親切にも思えるが,逆にこれだけの人たちが二つの乗車口位置に並ぶことは大勢すぎて危険かもしれない。 ホームには南宮崎駅から乗務する運転士が待機しているので その少し脇で待っていたのが予想通り前側ドアが目の前に停まった。

南宮崎駅4番線から、[キハ40-8054]の「快速日南マリーン号」は地元の方はごくわずか ほとんどが観光客で超満員のため乗車に時間がかかったのか1分遅れの9:16に発車した。 発車後すぐ左カーブして日豊本線から離れ日南線を南下して島式ホームの田吉駅1番線に9:19到着 宮崎空港線がこの駅から分岐しているが一度廃止された駅で宮崎空港線が敷設された際に復活した駅である。 1番線が本線スルーとなっているが両ホーム共出発信号機があり 行き違いはもちろん追い抜きもできる構造になっているが,1929Dに退避はなく9:21に発車した。 住宅が続くなか9:23に単式ホームの南方駅を通過した,右手には住宅や会社や倉庫などが続き反対側の左手には田畑が広がっていたが やがて右手にも田畑が広がると川を渡って堤防の高さのまま走って9:27に島式ホームの木花駅に到着,西側に引込線が1本あった。 この駅を出てしばらくすると右手に国道220号線が寄ってきて単式ホームの運動公園駅に9:30到着し,数人の方が下車されていった。 この運動公園駅は C57が保存されていることで有名な宮崎総合運動公園に隣接している。

運動公園駅を出て,川を渡ると山がすぐ近くになるがそれを避けるように右にカーブすると曽山寺駅の単式ホームを左手に見ながら通過する 今度は左に大きくカーブして子供の国駅の単式ホームに9:35到着 夾竹桃が残されているらしいがどこに植えられているのかわからなかった,かなりの下車客があったがまだ立ってらっしゃる方が多い。 海に近いはずだが海は見えないけれど南国リゾートの雰囲気が漂う風景を眺めているうちに青島駅に着いた。 駅舎のある海側に単式ホームの1番線があり1929Dは9:38に島式ホームに対向列車を待たせて到着した。 かなりのお客さんが下車されてボックスシートにも空席ができて9:40に2分遅れで発車した。 海から離れ山裾を走るがやがてトンネルに入って出るとすぐ単式の折生迫駅を通過し,再び山間部へ進みトンネルを出ると左手に海が見えて,トンネルに入り出ると海が見えるを繰り返すが内海駅を通過し小内海駅の間の海岸線に鬼の洗濯岩が見える その小内海駅は豪雨による土砂災害にあって復旧された駅だ。 いくつかトンネルを通り抜けて9:52伊比井駅の島式ホームに着いた,ここからは日南市となる。 この駅はまだ海沿いにあるが、ここを出るとキハ40はエンジンを唸らせて山越えに挑む 川沿いに登っていたがやがて長いトンネルに入る。 かなり長いトンネルで 出るとすぐタイフォンが鳴って田畑や家が見えてくるとATSが鳴って10:04島式ホームの北郷駅に到着,立派な駅舎に側線もあってかつては飫肥杉の出荷でにぎわったのだろうか,先ほど抜けてきたトンネルができる前は志布志線の終点だった駅だ。 10:06発車し,大きく開けた川沿いを下り10:11内之田駅を通過し川から離れて大きく右にカーブすると飫肥駅だ。 島式ホームの2番線に10:15到着,この駅では運転士が切符の回収や運賃精算をせず改札口の係員に任せるようで前後の両方のドアが開いて 観光乗がかなり降りていかれた。 駅を出てしばらくは市街地から外れていたようだが,少し走ると日南市の市街地に入って大きな全国チェーンの量販店などが見えてきて単式ホームの日南駅に10:22到着。 ここでもワンマン運転の下車方法がアナウンスされなかったので駅員が配置されているのだろう,地元の方で慣れておられるのか後ろのドアから下車されていく方もおられた。 海側に余裕があり過去にはホームがあったのかもしれない,そのような日南市の中心駅を出た1929DはATSを発鳴させて10:26に島式ホームの油津駅に着いた,ここでは南宮崎駅からあるいは志布志駅からの列車が数本折返運転しているが反対側ホームで乗り継げるようになっている。 実際,車両は通しで運行されるが途中駅で列車番号だけを変えるというのもよくあるが,この油津駅では 例えば志布志駅から来た1938Dは油津駅までで 別の車両が1940Dとして南宮崎駅に向け運行されて 1938Dは到着後行先表示が志布志駅に変更されて数時間の休息にはいる。

 飫肥駅から各駅に停まるようになった1929Dは,広島カープ仕様の油津駅を4分遅れの10:30に10数人の乗客を乗せて発車した、駅構内の広さや今も保線車両が停泊する留置線があることから油津駅も元は島式ホームのほかにもホームがあったのかもしれないなどと思っていると右手に広島カープがキャンプを行う野球場が見えた。 港湾内に出てから海沿いを走るとATSが発鳴して対抗列車が反対側ホーム待つ大堂津駅に10:37到着,日南線を南下してきてここで初めて相対式ホームだ。 日南線に乗ることを決めてから どの辺りで海沿いを走るのかを調べていた時に気づいたが この駅は河口砂洲のような地形にあって、東側はすぐ海だが西側の駅舎の向こうには川が流れていて日南線に平行して海岸線と河川敷が続いている。 その川を鉄橋で渡ってすぐに西武ライオンズゆかりの南郷駅に10:41に着いた,単式ホームの小さな駅だ。 駅舎はあるが単式ホームに沿ってではなく反対側にあり駅舎からは構内踏切で渡ってくる構造になっている,2分ほど停車して10:43に南郷駅を後にした。 ここから海沿いに南下すれば都井岬になるが鉄道は西へと向きを変えて2つ目の山越えに挑む。 田畑が広がるようになってきて単式ホームの谷之口駅10:47着,ホーム後ろは崖になっていているが線路の向こうには川が流れ道があり田畑や人家があった。ここを出ると藪の中を伸びた竹に叩かれながら走る,また右に左へとカーブが続き決して急ではないが少しづつ登っていくと場内信号機が黄色と緑色だったので減速を指示していてATSが発鳴すると10:54対向式ホームの榎原駅に着いた。 ここを出るとエンジンが唸りをあげて結構な勾配を竹に叩かれながら登り,やがて登りきってしばらく下ると開けてきて人家が集まりだしたがなぜか徐行運転となった。 ATSが発鳴して先ほどと同じく相対式の日向大束駅に11:08に到着,榎原駅との間にある山越えに備えて両駅とも対向待ちが出来る駅構造になっているのだろうか。 畑の中をゆっくり下って日向北方駅に11:13着ここは単式ホームだった。 市街地に入ってすぐ11:17に串間駅に着く,市の中心にある駅だが単式ホームだけが残されたようで駅構内はかなり広く また駅員がいるようで この駅でもワンマン運転時の下車方法についてのアナウンスは無かった。お母さんが子供さんを三人連れて乗ってきたりと車内に再び活気を取り戻して発車した。市街地を抜けて少し走ると相対式ホームの福島今町駅に11:22到着,志布志駅から延びてきた元布志線は島式ホームではなく相対式ホームが多いが ここから先は列車交換ができる駅はない。宮崎県最後の駅である福島高松駅には11:27着,駅裏にある牛舎の牛がこちらを見ていた。 短いトンネルを出ると左手に海が見えてきて ここからしばらくトンネル・藪・海という景色が繰り返されるうちに列車は鹿児島県に入り大隅夏井駅に11:35着,ここも福島高松駅と同じく単式ホーム。ここを出ると左手に志布志港が見えたがすぐに藪の中にはいり徐行運転となった トンネルに入ると徐行も解除されて快調に走り出してトンネルを抜けるとそこは志布志市街であった。 ATSが発鳴して日南線の終着駅志布志駅に定刻から4分遅れの11:43に到着した。

 南宮崎駅から88.9Kmの日南線の終点である志布志駅は志布志線が西都城駅へ大隅線が国分駅へとつながっていて機関区もある大きな駅だったが今は日南線だけとなり側線が残っているにせよ駅舎も単式ホーム1本だけ南宮崎駅方向へ数十メートル移動して新設された。 その駅舎を出て目の前のショッピングセンターの先、元志布志機関区があった場所に志布志鉄道記念公園がありC58-112が珍しい小工式K-9デフをつけて ヨ8951を従えて大事に保存され、さらにうれしいことにキハ52-130もJR九州色から国鉄色に塗りなおされて保存されている。 日南線の折り返し時間で充分見学できた。

 最後に,志布志駅から宮崎駅までの料金は 佐土原駅まで買っても同じになり しかも佐土原駅までは100キロを超えるので途中下車が出来て 途中駅で下車して南国を味わう または運動公園駅で下車してC57を見学することなどが可能になる。宮崎駅は自動改札機になっているが問題なく途中下車扱いになって改札機から切符が出てきた。 途中下車しないのであれば,志布志駅から南宮崎駅までは 宮崎駅までよりも料金区分が1つ短い範囲になるので安価であり 南宮崎駅から宮崎駅まではSUGOCAやSuicaで乗れて¥90お得である。 南宮崎駅止まりの列車だったり,駅で列車を撮影してから宮崎駅まで移動するならば乗車券は南宮崎駅までとして宮崎駅までは別に払った方が この区間は特急の自由席に乗車券だけで乗れるので良い。

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鉄道の記録

EF57 7 (宇都宮市)

 JR宇都宮駅の東口に向かい ヨーロッパのトラムを思わせる芳賀・宇都宮LRTを横目で見ながら階段を降りる。 目指す駅東公園まで歩けない距離ではないが,LRTの試乗を兼ねて利用してみることにした。

 二つのの停留所「駅東公園前」で降りるが,公園に面しているわけではない。 停留所から交差点を北上する,しばらく歩いて信号のある交差点を過ぎると右手に駅東公園があった。 EF57はちょうどこの位置から対角線の反対側にあるので公園を横切って,一旦 公園から出て通りを北上すると左手にEF57が保存されていた。 屋根があって,周囲を金網で仕切られているので保存状態は良い。また,公開日があるらしく定期的に手入れもされているのだろう。

 設置されている案内板によると EF57-7は日立製作所で完成し浜松や沼津そして長岡を経て最後は宇都宮機関区で活躍したらしい,ここへ来る時に乗ってきたLRTの宇都宮駅がある辺りが元の宇都宮機関区だったはずで旧型電気機関車のぶどう色だけでなくEF65だったろうか青とクリームの新型電気機関車も配置されていたのを東北本線を仙台に向かう「急行まつしま」などから眺めた記憶がかすかに蘇った。

 2C-C2という,デッキの下に先輪が2軸ある大きな機関車で 直線から曲線に差し掛る時に動輪を曲線に導く役目を果たしていたらしいが EF62には先輪がないので蒸気機関車ならともかく動輪が分かれている電気機関車には必要無いのかもしれない。 また,パンタグラフが2号機からは取り付け高さを低くするために車体前後ではみ出して取り付けられているのも特徴の一つだ。 EF58にも先輪はあるが蒸気暖房を搭載する改造の際に先輪の上まで車体を被せたので,旧型電気機関車の形態を残しているのはEF59に改造されたものを除くと,このEF57-7しか残っていないので大事に保存していってほしい。

 このEF57の後ろはプールになっているので,夏場などプールが営業している時にカメラを向けていると誤解されるかもしれない,またこのEF57が保存されているところは銀杏並木が続いていて年末というのにまだ匂っていた。 ここを訪れる際には季節を考慮した方が良いかもしれない。 また駐車場が無いので自動車で訪問する場合も注意が必要だ,LRTを降りてから公園まで数分,EF57の場所までも10分程度なので駐車場を探するくらいなら電車と徒歩をお薦めする。

 

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クモエ21001(下野市)

 東北本線で小山駅から一駅、小山車両センターに隣接している小金井駅で下車して西口に出ると正面にC57の動輪がある。 これはアメリカ軍が東北本線の列車に機銃掃射が繰り返しおこなわれて亡くなられえた方々の慰霊碑だ。 その西口から正面に延びる道路を歩くと国道4号線にでて更にそのまま進むと左側にクモエ21001が保存さえれている日酸公園がある,駅から10分も歩いていないが途中の国道4号線の交差点での信号待ちが結構長いので所要時間は歩行者信号次第で大きく変わる。 因みに、日酸公園というのは日本酸素の工場跡地が命名の由来らしい。

2024年12月29日,もうすぐ新年を迎えるという日に この保存車両で初めて女性の先客さんがいらした。 台車の辺りを触ったりしながら見学されていて、これまで色々な場所で保存されている車両を見てきたが,公園で遊んでいる子のお母さんが暇で車両を眺めていたことはあったが 若い女性が車両を確認している姿は初めてだった。

 17m級電車であるクモハ11からの改造車両で,他にこの系統は名古屋のリニア・鉄道館にあるクモハ12くらいしか残っていないのではないだろうか。 ここのクモエ21001は盛岡工場で改造されたことが銘板でわかる,片運転台の車両を両運転台にして車両端部の乗降ドアを塞いて替わりに車体中央に機材や資材の出し入れをおこなうべく大きな扉を設けある。 救援車として旧小山電車区 つまり今の小山車両センターに配置されていた車両で,片側はホームが作られていて車内が見られるようになっているがガラスが汚れていてあまり良くは見えなかった。1エンド,2エンドと左側面は先ほどの女性ではないが柵も何もないので それこそ触れるくらい近くから台車や抵抗器などの床下機器などが見られる。 しかし、空気溜などがホームがあるために見えないことは仕方ないこととはいえ残念でもある。

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C50 123 (小山市)

 2024年12月29日,両毛線で着いた小山駅は改札前が東西連絡通路になっているので改札を出て左側の東口へと向かう。小山駅は通過線や待避線に番号が割り振られているので水戸線のホームは15番線と16番線という大きい数字になっているが15番線は行き止まりになっていて小山駅手前で左に分岐して東北本線の13番線との間を通り抜ける線路があってこれが14番線という扱いらしい,小山駅を通過して東北本線を宇都宮方面へ直通する列車はないし16番線は行き止まりではなく宇都宮方面へ線路が伸びていて東北本線に渡っていけるようになっている。 

 自由通路から地上に降りるとタクシー乗り場やバスターミナルがあって白鵬大学のビルが建っている。自由通路から左側(宇都宮側)の階段を降りた方が一般乗降場を通らずに済むので道路を渡りやすい,白鵬大学を右に見ながら進むと大きな通りに出るので,そのまま真っ直ぐ住宅街に入っていくとすぐに駅東公園がある。 駅の改札口を出て10分も経っていない。

 駅から来ると,目指すC50は公園の東南側にあるので公園内を通り抜ける。トイレや管理人室があってその先にC50があった。周りは金網で仕切られ屋根もあるので状態は悪く無いし下手な塗装もされてなく自然な褪色具合なのも良い,掲示によると月曜・水曜・金曜・日曜(年末年始は除く)の9時から12時に公開しているようだ。

 両毛線で活躍していた機関車の1台らしく,足利駅前にあるEF60と同じ123号機なのはあえて揃えたのだろうかEF60は高崎第二機関区だがC50は小山機関区だ。小山駅の南側で東北本線から水戸線が左に離れていくところにあったらしいが今は面影もない。結果的に梅小路機関区に蒸気機関車は保存されているが保存場所の候補地として争ったのがここ小山機関区で扇形庫もあったようだ。 

 両毛線や小山駅構内の入替で活躍したC50-123号機はゆかりの地で大事にされている。

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鉄道の記録

EF60 123 (足利市)

 残すところ2024年も数日となった12月29日,小山駅から両毛線に乗って足利駅に着いた 東京からは浅草駅から東武線でも来れるが目的の機関車はJR両毛線の足利駅前にある,その東武線で来ても両駅を結ぶ路線バスがあるので問題はない。

 昭和初期に建てられたという駅舎の北口改札口を出ると正面ロータリーにタクシー乗り場があって,そのまま左へ目を移すと駅前ロータリー,バス停の向こうにEF60が保存されている。高崎第二機関区に所属していたらしいので,両毛線ゆかりの機関車のうちの1台と想像できるEF60の5次型123号機である。

 駅前にあるので訪問するのは簡単だが,電車を乗り継いでこのEF60を見にくる価値は無いと誰もが思うのではないだろうか。EF60は他に碓氷峠鉄道文化むらに500番台の特急牽引用に造られたものが保存されている,しばらく見に行っていないがここまで荒れ果ててはいないはずだ。

 以前はパンタは両方上げられていたが今は降ろされている,正面も側面も車体は褪色が激しく錆もかなり浮き出ているし,側面の窓ガラスが割れ落ちていては機関車内部もかなり傷んでいることだろう。だが台車部分はさほど傷みもなくDT115-DT116ーDT115それぞれ詳細に記録することができた,砂箱から砂巻き管を何枚も写真に撮っていたら通りかかった高校生が不思議そうにこちらを見た,傷んだ鉄の塊を写真に撮ってどうすると思ったかな。その高校生が自転車置き場へ入っていったのを見て階段を登らせてもらえれば屋根上が撮れると思い 少し経ってから自転車置き場へ行って階段を登らせてもらいEF60の屋根上を確認したが,正面からとなるので畳まれたパンタがよく見えただけだった。

 JR東日本の「休日おでかけパス」や「ホリデーSuicaパス」は 2024年12月29日現在,両毛線は小山駅からこの足利駅までがフリーエリアとなっている。

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鉄道で道行

御殿場線(国府津- 沼津,2531M)

2025年1月2日、国府津駅から御殿場線に乗るため改札口にいた駅員さんに沼津駅まで行くけれど自動改札をSuicaで通って良いのかと聞いたら、大丈夫との返事なので改札機をタッチして通ったが終点の沼津駅の自動改札は通れなかったことについては沼津駅到着後に書いておくことにする。 ちなみに、国府津駅では改札口を出る際はJR東日本の自動改札機の脇に JR東海の出場記録機が設置されているので御殿場線で国府津駅まで来た時はJR東海の出場機を使えば問題なく改札口を通って出れる。

国府津駅は海側に単式ホームで小田原寄りに改札口のある1番線が下り線、島式になっている2番線も東海道線の下り用になっていて4,5番線の島式ホームが東海道線の上り線用になっていて、東海道線の上下線に挟まれた3番線が御殿場線専用となっている。 沼津駅行き2531Mも この3番線に停車していた。

国府津駅←[クモハ313-1305]+[クハ312-1305]→沼津駅、という編成で所属は静岡車両区の313系1300番台,2両編成で9時10分国府津駅を定刻に発車した。 正月なので帰省する方やハイカーの方、そしてスーツケースを持った海外からの旅行者と様々な目的を持った乗客を乗せた2351Mは、国府津駅を出た時点で座れない方が大勢いらした。 国府津駅を出ると、高架で東海道線の上り線を越え 左側に国府津車両区センターへの出入区線を従えて進み国府津車両センターを過ぎるとやがてJR東海が管理する島式ホームの下曽我駅に9時15分到着した、この駅は東京近郊区間から外れるためにこの駅までの100Kmを超える乗車券であれば途中下車が出来る。 ホームから改札口へは地下通路を通るようだ、数人の乗降客があり対向列車の到着を待ってこちらが先に発車した。 上大井駅まではほぼ直線で家も多く立ち並んでいる、定刻の9時19分に到着した相対式2面式の駅舎のある1番線、つまり右側のホームに着いた、跨線橋は見えず構内踏切を使って2番線へ渡るようなので対向列車待ちがない場合は駅舎側ホームを使うのだろう、この駅でも数人の乗降があった。 相模金子駅は単式ホームがぽつんとあるだけの駅だが住宅地の中にあって乗降客もかなりあった。

右手の山間に東名高速が見えだすと、やがて小田急線を越して右側から小田急線との連絡線が合流すると松田駅になる。 単式の1番線と島式の2,3番線があって沼津駅行きの御殿場線下り列車は3番線に定刻9:26到着した。 小田急線からの乗り換えだろうかかなりの乗客がおられ、2両編成の2351Mは超満員となったためか通風機が動き出して送風を開始した。 新宿駅からは国府津駅経由でJR線を利用してもさほど所要時間は違わないと思うが、料金は大きく違うだろう。

定刻の9時27分松田駅を発車。 やがて山裾を進むようになり左手に酒匂川が見えてきて右手に国道246号線に沿って進むと単式ホームの東山北駅に着く。 ここからいよいよ山間部に入る、左に大きくカーブして線路脇に染井吉野が植えられているのを見ながら山北駅に着く。 ここから御殿場駅に向けての急勾配に対してD52などの補機をつなぐための山北機関区があり給水や給炭設備もあったらしいが、いまはその機関区跡にD52-70号機が山北鉄道公園として保存されているのだが、空気圧で時々動かしているらしい。 南側の2番線の先にD52が見えるが、この2番線側は一線スルーになっていて小田急の特急列車通過のためだけに直線化したのだろうか。 跨線橋で北側の駅舎に行けるが、なんと島式ホームの国府津駅側先端からD52のある南側に向かって構内踏切があって出入場機まで設置された南口があった。 かなりの乗客を降ろした山北駅を定刻の9時35分にでた2351Mはかつての急勾配にいどみはじめた。 山北駅が約100mに対し御殿場駅は標高450mくらいある。 

かつての東海道本線は地形に逆らい山間部をトンネルでいくつか超えて、谷間を蛇行しながら流れる酒匂川を何回か渡り神奈川県最西端になる谷峨駅の相対式で駅舎のある1番線に着いた、2番線へは構内踏切を使うようだ。 東名高速が頭上を横切るが、この谷峨駅の対岸にある山を貫いているのが渋滞情報でよく耳にする東名高速都夫良野トンネルであり、その奥が西丹沢になる。 さらに列車は登り、トンネルをいくつかすぎて静岡県に入る。 金太郎といってもEH500ではなく足柄山の方で有名な駿河小山駅に9時45分1番線到着、島式ホームの反対側2番線には対向列車が先着していてこちらの到着を待って出発していった。 工場や発電所などが目につくがやがて田畑も多くなり谷間を走ってきた御殿場線の視界も大きく開けてきたが 御殿場駅まではまだあと200m弱登らねばならない。 元は信号場だった足柄駅は島式ホームだが駅舎は木材がふんだんに使われた立派なコミュニティセンターを兼ねていて構内踏切でホームとつながっていて、列車を降りた方々が渡って行った。

足柄駅を出てしばらく走ると歓声があがった、今日は快晴で雲一つなく富士山が良く見えたのだ、新幹線からよりもかなり近いのでとても大きい。 ちなみに、1月2日だからか道路が渋滞していたが前の席に座っていた女性によるとアウトレットへ向かう道らしく、ここから渋滞してたらいつ着くかわからないとのことだった。 富士山を右手に見ながら住宅が増えてきたところで左にカーブするといよいよ御殿場線最高地点の御殿場駅だ、D52-72号機が右手に見えたらもう駅構内である。 橋上駅で1番線が単式の上り線ホーム、島式の2,3番線が主に下り線のようで、2番線は沼津方面への折り返し用か。 3番線の外に留置線が2本あった、夜間滞泊があるのかもしれない。 沼津駅からの帰りにこの御殿場駅で下車したが 駅員配置駅で切符売り場もあったけれど正月だからか外国からの旅行者で長い行列が出来ていた。

乗客の半数以上が下車し、いくらかの乗客があったにせよ通勤電車状態は解消されて送風機も止められた2351Mは中央本線の始発駅になれなかった御殿場駅を10時4分、座りきれない乗客を乗せて3番線を発車した。 ここまでも数回あったが、JR東日本エリアからSuicaで乗ってきた場合は駅の精算機で清算するようにとのアナウンスがあった。 郊外へ出てしばらく走ると単式ホームの南御殿場駅で富士山側にホームがあり、お一人乗車してこられた。 御殿場駅まで登ってきた分降りるわけで、乗っていてもわかるくらい下りはじめて富士岡駅10時11分到着。 今は、島式ホームになっているが元はスイッチバック式の駅で富士山側にある水平に近い引き上げ線後にホームがあったようだ。 東名高速の向こうに駅名のとおり富士山がよく見える、景色を眺めているうちに対向列車が到着したので、こちらが先に10時14分発車した。 林の中を走るのでわかりにくいが自衛隊の駐屯地やトヨタ自動車の研究所の近くを通り抜けて、やはり昔はスイッチバック式だった岩波駅に到着した、周りは住宅地でわずかに築堤の跡が残っているが勾配の途中であることはあまり感じられない。 単式ホームが2つという構造になっているが、これは元々島式ホームだったところにもう1本単式ホームと駅舎を作って、島式ホームの片側だけを利用するようにした構造のようだ、駅を出ると右手に築堤が続いていたのでここがスイッチバック駅だったころの名残だろう。

次の裾野駅までの間に車掌が車内精算のため巡回してきた。 途中には無人駅も多く出札口や券売機がないという場合もあるだろうが、ワンマン運転の列車もあるわけでその場合はどうするのだろうか。 JR東日本からの乗り越し客のための精算だけとも思えないし、無賃乗車対策だろうか。 市街地を抜けて島式ホームの裾野駅2番線に到着、箱根側の側線に保線車両が停留していた。 ここでも対向列車が先着していて、こちらの到着を待って出発していった、御殿場駅から沼津駅間はかなりの列車頻度で運転されているようだ。 次の長泉なめり駅は長泉町の納米里という場所にあるのでこの駅名になったらしい、この辺りまで降りてくると標高は100mを下まわって平野部に出てきている。 市街地が途切れることはなくなり初代三島駅だった下土狩駅に到着、島式ホームで沼津駅行きは1番線を使っている。 三島駅だった頃はこの駅から伊豆箱根鉄道も出ていたようだが、丹那トンネルが通じて東海道線が熱海経由となって三島駅が新設された時に伊豆箱根鉄道も移ってしまったようで、地図で見ると大きく右カーブして現三島駅に繋げたのがわかる。 新幹線をくぐると、大岡駅に着く、ここまで定刻で走ってきて御殿場線最後の駅である大岡駅は単式ホームが1本あるだけの小さな駅だがかなりの乗客があって再び満員となって終点沼津駅に向かう。

しばらく走ると左側に留置線が見えてくる、沼津運輸区だ、ここは乗務員の基地だが留置線には多くの車両が待機していた。 留置線がなくなっても沼津駅へ向かって複数の線路が続き、左側から東海道本線が合流する辺りの北側にはかつて沼津機関区があったが再開発されて面影はない。 列車は沼津駅5番線に定刻の10時41分に到着した、沼津駅は島式ホームが3本あって、1,2番線が東海道本線の下りで 3,4番線が東海道線の上りで使われるが三島駅発の御殿場線乗り入れ列車は渡り線の都合で5番線に入れないため3番線で折り返して御殿場線に沼津運輸区構内で転線するようだ、そして今回到着した5,6番線が御殿場線ホームとなっている。 ホームの静岡駅側に跨線橋とエレベーターがあって、熱海駅側は地下通路となっていて それぞれ南北両改札口へ通じている。 その改札口で、国府津駅をSuicaで入ったが自動改札機は通れなかった、御殿場線内のTOICA対応の駅では必ず出場記録機を通すようにアナウンスがあったがそれは国府津駅で東海道線から乗り換えたSuicaを使う乗客向けではなく、JR東海内でのつまり御殿場線内のことかと思い国府津駅の改札通って御殿場線に乗ったので沼津駅など大きな駅の自動改札機では通れるのかと思ったが通れなかった。 山手線内や東海道線からSuicaで乗ってきた場合改札口の精算機で精算できるという車内アナウンスが何度ももあったので、正しくは改札口脇の精算機でSuicaを入れて精算するのだが、国府津駅で改札口を通ったとしても沼津駅の自動改札機は通れない。 逆に、JR東海エリアから御殿場線に乗って国府津駅で下車して改札口を出たい時はJR東海の出場記録機があるので、それに通して駅員のいる出口から出れば良い。 

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9667(高萩市)

2024年8月11日、福島県いわき市まで車で向かう途中 高萩市に寄ることにした。 常磐線の高萩駅から1キロくらいの距離だがバスが通っていない、今回は車なので真夏の炎天下でも訪問することが出来た。

国道六号線を北上し、日立市から高萩市に入ると左手に常磐線が近づいてくる。 市街地に入り「高浜町一丁目」という交差点の右手前側が高浜スポーツセンターや勤労青少年ホームという施設になっていて、その一角 交差点の角に9667があった。 国道から海側へ入ると駐車場が左手の高萩中学校沿いにあった。 中学校の駐車場かと思ったが、ちょうど車を停めた方がいらして尋ねたらスポーツセンターの利用のためとのことだったので、SL見学だが停めさせてもらうことにした。

土手というほどではないが、盛り土の上に展示されている。 周りは有刺鉄線で囲まれていてその隙間から撮影するため、盛り土の上に上がってみた。 
正面から見れば、キャブ屋根を覆うブルーシートが隠れて他の保存機よりも塗装の剥がれなどがないことから綺麗に見える、しかし側面に回ると所々傷んだところが目立つ。 置かれた場所も草が伸びて荒れ果てている上に海がすぐ近くなので潮風の影響も大きいことだろう。

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 令和7年5月30日 高萩市は解体撤去する方針を発表した。