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鉄道の記録

北見相生鉄道公園

 令和7年8月12日 中標津の町からレンタカーで西へ向う。 今日は数ヶ所周る予定だが まずは阿寒湖を越え北見相生まで およそ100Kmの道のりだ。 阿寒湖までは釧路駅や釧路空港から路線バスがある,しかし阿寒湖から先の釧北峠を越える路線バスはない。 旭川から北見を経て釧路へ向かう高速バスは通っているが北見相生には停車しないようで、また津別町営のバスは地元の方々のために運行しているらしく 北見相生鉄道公園へ公共交通機関でたどり着くのは事実上不可能と思える。

 弟子屈を抜けて 釧路からの国道に出るとやがて阿寒湖畔,そのまま通過するとやがて足寄へ下りていく国道が左へ分かれると釧北峠になるが、大型トラックも多く行き交う国道はきれいに整備されていて渋滞どころか信号待ちもないので順調に走り,中標津を出てから,途中休憩や買い物をしても約2時間で北見相生に着いた。 国道脇に道の駅があるが火曜日は定休日で閉まっていたが、トイレは使えるように閉めていないようだ。 この道の駅の奥に林の影になって鉄道公園があった。

 相生線の終点駅だった元の北見相生駅ホームから先に機回し線が伸びていて そこにキ703ジョルダン除雪車が羽を広げていて 当時の姿を思い起こさせる。近代化改造をされていない車両でヨンサントウの時時速65キロの制限を受ける貨車となり黄色帯が着いている。 ホームに沿ってワフ29574,ワム180455,トラ74509と貨車が繋がっていて元北見相生駅駅舎の改札口正面は白樺並木が見えるようになっているが,この並木のところにも当時は引き込み線があって転車台や車庫につながっていたのではないだろうか。 道の駅の北側に線路跡が残っていてその先が空き地になっているのが転車台跡と思える。

 ホームの末端,美幌駅寄りにスハフ42-502が停まっている。 三等車として生産された車両で乗降デッキの外側に車掌室があり,特急「つばめ」や「さくら」などに連結さえれていたらしいが改造工事を経て500番台となり北海道へ渡ってきた車両のようだ。 ライダーハウスとして使われるため屋根のベンチレータは撤去されて新しい屋根が付けられたりしているが床下はそのままのようで模型製作の資料として台車や床下機器がここまでホームがないおかげで両側とも撮影できた。

 さらに離れてキハ22-69がホームから離れ まるで美幌駅へ出発したかのような姿で停まっている。 乗降口はデッキ式になっていて 靴の金具対策のため床が板張りになっていてつまりは北海道仕様なのだが キハ21の寒さ対策が不十分でその改良型というわけだ このキハ22のあとにキハ54などが作られたが今も北海道各地にキハ22が数多く保存されていることから重宝され長く使われたのだろう。 津別町によるクラウドファンディングにて数年前に塗装修理が行われて このキハ22は他と比べれば比較的綺麗な方だが錆によると思われる剥がれがではじめているのは残念だ。

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鉄道の記録

別海町鉄道記念公園

令和7年8月11日,羽田空港からおよそ1時間半の飛行で 中標津空港に着いた。 空港から市街にある標津線中標津駅跡に出来た中標津バスターミナルまで行き そこで標津線の代替バスに乗り換えれば良いのだが,根室駅行きの空港バス以外に市街へ向かうバスはなく,さらに令和7年3月に 標津線の代替バスは標茶駅と西春別の間が廃止になって 運行も根室バスから阿寒バスに変更となっていた。 学校がある平日は朝夕の他に日中にも数本のバスが運行されていて 西春別18時ちょうど発のバスで中標津まで戻ってくることはできるが,明日以降に川北や標津へ路線バスで巡るのは現地で数時間待ちとなり効率が悪すぎるし,なにより釧路から摩周湖の南側までは快晴だったのが 中標津空港に着陸するほんの数分前から大雨となり,バスで回ることを諦めてレンタカーを借りることにした。 

中標津空港から西春別まで約30キロ西へと向かう。 中標津市街を抜けると雨が止み牧草地の中をひたすら走る,地図ではただ直線の道だが実際には起伏があり 上がったり下りたりを続けながら 30分ほどで西春別にある別海町鉄道記念公園に着いた。バス停の前に駐車場があって,別海町鉄道記念館の横にはバスの待合所らしき建物があったが 待合所にしては立派な建物でこの中にいたらバスが来てもわからないのではないかと思える。

 別海町鉄道記念公園には 手前から、樺太へ渡ったD51・ヨ3500・キ100が並び その少し先に西春別駅を模した島式ホームが作られてキハ22が停車している。D51は樺太向けにキャブに防寒対策がなされヘッドライトがとても大きく ナンバープレートの車番に[D51-27]とハイフンが入っている,樺太の鉄道は日本時代は狭軌だったため戦後もずっと狭軌のままで使われていたらしいがソ連崩壊後にロシア式の広軌に改修されていったらしい。 次のヨ4642だが形式はヨ3500で名寄のキマロキ編成でも残っているなど北海道内に相当数残っている。 ラッセル車のキ276,形式はキ100で高山市で9600と並んで保存されているなど これも各地に保存されている。

そして,これら3両とは少し離れてキハ22-239が西春別駅のホームに到着している。 実際に駅があった場所らしいがホームがこの位置だったのかはわからない。 JR化されてから標津線は廃止になったので車体にはJRの文字が入っている。 首都圏色に塗られた車体はかなり色が抜けてきていて 屋根や車体にも錆汚れなどの傷みが出ている,今のうちに補修してほしいが費用はかなりな金額になるだろうから無理か。

バス停の時刻表によると、令和7年5月現在で 標津から中標津を経て,ここ西春別駅前バスターミナルまでの阿寒バスと 別海町による地域生活バスが町立別海病院から一旦ここ西春別駅前バスターミナルへ来てから 5キロほど今きた道を西春別まで戻る路線がある。 西春別というバス停が終点だが町立別海病院から来たバスは(終点となる)西春別バス停を通って ここ西春別駅前バスターミナルへ来るため バスの行き先は西春別と表示される。 

西春別のキハ22
西春別のヨ3500
西春別のキ100