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鉄道の記録

キハ22 168 (標津町)

中標津の市街地から空港へ向かって標津川を渡って C11のある丸山公園を右手に見て役場を過ぎ 空港は左折となる丁字路の交差点を右に曲がって東へと向かう 市街地から続く道道774号線の北海道らしい風景の中をひたすら走る。 バスはあるが本数が少なく次のバスまで何時間も待っていては訪れられる数も限られてしまうのでレンタカーを借りた。中標津空港から中標津の市街地へ,そして中標津から川北あるいは標津町そして別海町の西春別までは 今日,令和7年8月12日の時点でバスは曜日ごとに運行本数が違うけれど走っていた。

空港の東側を過ぎてしばらく走ると起伏があって森の中を走ると,家が数軒見えてきてバス停があった「上武佐」とあって ちょうどここの道道の南側に上武佐駅跡があるらしいが駅舎が残っているわけではないようだ。そこからしばらく走るとより中標津町から標津町へと入るが看板があったので気づいたが川が流れているわけでも尾根になっているわけでも何もなく 道道なので舗装が変わるということもない。牧草地が増えてきて見通しが良くなると民家が増えてきて派出所やガソリンスタンドがありその先の左手前角が郵便局で左先角が生協の交差点を右折し突き当たったところにキハ22-168が保存されていた。
この場所が川北駅があった場所らしく 今はバスターミナルとなっている。車両をよく見ると痛みがあったり塗料がたっぷりと塗られているが 決して状態は悪くなかった。キハ20系の極寒地向けキハ21の耐寒装備増強車といったところかデッキ付きとなりトイレにはデッキから入る形だ。

ここから当時の標津線は南へ進路を変えて根室標津駅へと向かっていたが,道道へ戻らず保存車の前を東へ おそらく標津線の線路跡を少し走ってから道道863号線を右折して標津町市街へと向かう。川北の集落を過ぎると原野の中をひたすら走って、標識の無い丁字路を左折して標津サーモン科学館の前を経由して行くことにした。

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鶴居村営軌道

釧路駅から路線バスが数本あるが平日と土日で運行が変わるようで利用する際はよく調べてからの方がよさそうだ,路線バスは釧路駅始発ではなく市立病院から来る。 連絡バスが満員になって乗り損なう事がある釧路空港からレンタカーを利用すれば釧路市街を通らずに鶴居村へ行ける。 釧路市と阿寒湖を結ぶ国道からは離れていて、釧網線の四標茶駅や摩周駅からも距離があるのでレンタカーならば鶴居村から先へそのまま向かうのが良さそうだが阿寒湖や北見方面へ抜けるには迂回するか峠越えとなる。

新富士駅から今の鶴居村役場がある辺りまで線路で結ばれていたらしく、途中の下幌呂というところで西に支線が分岐していたらしい。この廃線跡の一部が釧路湿原の遊歩道になって残っているようで、鶴居村と釧路市をつなぐ道道からは少し東側に線路が敷かれていたようだ。鶴居村役場より少し先まで路線バスは走っているが「役場前」で降りてセイコーマートのある交差点を東へと入る 診療所があってその次に目指す「ふるさと情報館」があるのだが大きな建物は目立つが案内看板は小さいものが入り口にあるだけで注意してみて行かないと行き過ぎる。この入り口からは保存されている車両が見える。

8tディーゼル機関車は札幌市にあった泰和工業製で 同じくこの会社で作られた鶴居村村営軌道の6tディーゼル機関車が丸瀬布で動態保存されていて兄弟車だがこちらは動かない。その隣りに自走客車も展示されていて出入口ドアに向かって階段があるので車内に乗ることが出来るようだ。別海村営軌道の自走客車は釧路製作所製だったが ここの自走客車は機関車と同じく泰和工業製なので 少し違う。こちらの自走客車も朝顔カプラーが付いているのでミルクゴンドラ車を牽いて走ったのかもしれない。機関車と自走客車には屋根がかかっているが 他に有蓋車が1両置いてあるが、これが機関車などよりも塗装が綺麗で訪れた時は塗装修理されてすぐだったのだろうか 小さな車輪の台車の上に大きな荷物室が乗っていてアンバランスな何とも言えない味わい深さがあった。
「ふるさと情報館」には図書室の他に展示資料室があり鶴居村営軌道の展示もあって当時使われていたミルクタンクの展示もあった。

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浜中町営軌道

根室本線の茶内駅には浜中町営軌道の資料が展示されている,この茶内駅では一日に上下5本しかない列車のうち日中の4本がこの駅で列車交換を行う 2,3時間の列車待ちは見学するのに丁度良い待ち時間となるかもしれない。
当時の国鉄茶内駅の北側に簡易軌道の駅があり根室方面に牛乳工場があって引き込み線で繋がっていたらしく簡易軌道は工場の手前で左にカーブして北上していったようで 今の駅前の真っすぐな通りとはずれていたようだ。
駅前から起伏があって先は見通せないが真っすぐな道を1キロほど歩くと右側に浜中町農村運動広場というグランドと体育館があって そこの駐車場に車両が展示されている。

8tディーゼル機関車が展示されていて 他に自動客車の台車だけが置いてある。運行当時は生乳を運ぶためのミルクゴンドラの他にタンク車もあったようだが展示はされていない,この浜中町営軌道は秩父内駅から西円朱別と東円朱別へと分かれていたが東へ進路を変えて東円朱別駅へ向かっていた路線はやがて延長されて別海町の上風連駅まで走っていたらしいが,別海村営軌道の上風連駅とは別で 場所もかなり離れていたらしいが 浜中町営が別海町まで走っていたというのは面白い。

この展示されている浜中町農村運動広場だが 道路をはさんで反対側に茶内中学校があるのでレンタカーなどで訪れる際はナビにこの中学校を設定するのが良い。茶内駅はここから約1キロ離れているので市街地を通過するように案内されるおそれがある。国道44号線を走ってきてセイコーマートのある交差点を曲がるとすぐ左側に機関車が見えてくる。

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別海村営軌道

根室駅から厚床駅を経由して中標津空港へのバスが近くの「奥行」を通る,他に別海町町営のバスが町立別海病院から運行しているが 空港へのバスは一日に4本で根室駅からも中標津空港からもほぼ1時間の距離で厚床駅からは15分くらいか。運行時間をよく調べてちょうど良い具合にバスが通れば良いが 厚床駅から10キロはあるので歩くには距離がありすぎるから レンタカーがお薦めだ。厚床駅の駅前から国道243号線を北上する,駅からすぐの国道44号線を過ぎて最初の信号だったと思う 途中の10キロ近く走っても信号どころか交差点すらないような快適な道をひたすら走ってくると直進が国道244号線で標津方面で、左折が弟子屈方面への国道243号線とういう標識が出て 信号を左折するとすぐ左に「奥行」というバス停がある。さらに並ぶように案内看板があって旧奥行臼駅逓所や旧奥行臼駅は左折とある,その通りに左折すると右側に旧奥行臼駅逓所が左側に旧奥行臼駅がある。 JR標津線の駅で別海村営軌道とも接続していたのだろう交通の要所だったらしいが 今は周りには他に何もなく 当時の標津線もこの奥行臼駅の次は根室本線の厚床駅だった。

そして、さらに少し進むと右側に別海村営軌道の風連線の線路跡に車両が保存されターンテーブルも残されている郷土資料館がある。JR標津線の奥行臼駅の駅前から村営軌道が道道を超えて上風連まで走っていたその線路上に保存されているのは8t自走客車(ディーゼルカー)と内燃機関車(ディーゼル機関車),そしてミルクゴンドラ車(貨車)で それぞれの名称は ここにあった案内看板によるものだ。
8t自走客車は綺麗に塗装が直されれいるが昭和38年製なので仕方がないが車体下部に錆による浮き上がりが出ていた,また車内には入ることは出来ないようだが車内が見えるように踏み台が設置してあった。内燃機関車はミルクゴンドラ車などの貨車を引いたのだろう 浜中の物とは異なりこちらは加藤製作所の6tだ。ミルクゴンドラ車には乗れるように階段が設置されてあおりも乗り降りするためにその部分のみ取り除かれている 各酪農農家から集めた生乳をこれに積んで運んだのだろうが 浜中の場合は茶臼に牛乳工場があったらいが こちら別海ではどこまで生乳を運んだのだろうか。
少し奥にターンテーブルの跡だけ丸く残っているが上風連まで延びていた線路から分岐してこのターンテーブルを通って車庫があったようで郷土資料館の裏が少し開けている。

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C60 1 (仙台市)

仙台駅で在来線 中央改札口を出ると西口になる,仙台駅には西口改札はないので慣れないと注意が必要だ。駅から出るとペデストリアンデッキが広がっていて その下につまり地上にバスターミナルがある しかし目的の西口公園へ向かうバスはこのターミナルからではなく その向こうの愛宕上杉通りにある60番バス停に停まるので デッキの正面右奥に見える「ロフト」を目指して進み愛宕上杉通りの上まで行って 通りの向こう側まで渡ってビルの中で地上に降りるとそこに60番バス停がある。 地下通路を通って来た場合は「中央出口2」で地上に上がるとここに出れる。

目指すC60は西公園にあるが南北に広がる大きな公園で 地下鉄東西線ならば大町西公園駅,地下鉄南北線では当台公園駅が最寄駅となるが数百メートルあるので10分程度歩く 公園の中を北に向かう又は定禅寺通りの欅並木を歩くのも風情があるが仙台駅までJRで来て地下鉄に乗り換えるならばバスに乗った方が早くて楽だ。 仙台駅からアーケードのある繁華街など通って西公園まで歩いても30分程度なので 散歩がてら歩くのも良い。

60番バス停から「定禅寺通市役所前経由交通局東北大学病院前」行きバスに乗る。 いくつもの系統番号のバスが来るが出発地が異なるからいくつもの番号があるようで行き先の「定禅寺市役所前経由交通局東北大学病院前」というのを確かめて乗れば良く 定禅寺通りで左折して市役所の前を通るバスに乗って「市民会館前」で降りるだけだ。 定禅寺通りの西側の終わりが西公園で丁字路の交差点の名称は「市民会館前」で定禅寺通りを西に向かって歩いて行っても正面にC60が見えてくるし,バスならば丁字路を右折する際にC60が見える。

1996年に展示されるようになったころは屋根はなかったと思うが 今は屋根付きで展示されていることもあり錆なども浮いておらず綺麗ではあるが,ランボードに白線があったりするのは良いが手すりも白く塗られているてだけでなく一部の配管などが黄色に塗られているのはいかがなものかという意見が出そうだ。 模型を作る者からすると黒一色よりも個々の形状やつながりがわかりやすいので助かるのだが 展示物としては真鍮磨きだしの代わりにも黄色というのは費用の面から仕方ないのかもしれないけれど 配管は黒で良かったのでないかと思う。

キャブ内にも入れるようになっている,ここでも配管が黄色に塗られているがそれぞれのバルブが何なのか 他にも何のメーターなのかと説明が付いているのは珍しい これまで何となくそうなのだろうと思っていたものの答え合わせができた。 C59の従台車を2軸化して軸重を軽くして東北本線などで活躍したC60だが ここ仙台市に保存されている1号機だけが現存する唯一の車両となっている。

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北見相生鉄道公園

 令和7年8月12日 中標津の町からレンタカーで西へ向う。 今日は数ヶ所周る予定だが まずは阿寒湖を越え北見相生まで およそ100Kmの道のりだ。 阿寒湖までは釧路駅や釧路空港から路線バスがある,しかし阿寒湖から先の釧北峠を越える路線バスはない。 旭川から北見を経て釧路へ向かう高速バスは通っているが北見相生には停車しないようで、また津別町営のバスは地元の方々のために運行しているらしく 北見相生鉄道公園へ公共交通機関でたどり着くのは事実上不可能と思える。

 弟子屈を抜けて 釧路からの国道に出るとやがて阿寒湖畔,そのまま通過するとやがて足寄へ下りていく国道が左へ分かれると釧北峠になるが、大型トラックも多く行き交う国道はきれいに整備されていて渋滞どころか信号待ちもないので順調に走り,中標津を出てから,途中休憩や買い物をしても約2時間で北見相生に着いた。 国道脇に道の駅があるが火曜日は定休日で閉まっていたが、トイレは使えるように閉めていないようだ。 この道の駅の奥に林の影になって鉄道公園があった。

 相生線の終点駅だった元の北見相生駅ホームから先に機回し線が伸びていて そこにキ703ジョルダン除雪車が羽を広げていて 当時の姿を思い起こさせる。近代化改造をされていない車両でヨンサントウの時時速65キロの制限を受ける貨車となり黄色帯が着いている。 ホームに沿ってワフ29574,ワム180455,トラ74509と貨車が繋がっていて元北見相生駅駅舎の改札口正面は白樺並木が見えるようになっているが,この並木のところにも当時は引き込み線があって転車台や車庫につながっていたのではないだろうか。 道の駅の北側に線路跡が残っていてその先が空き地になっているのが転車台跡と思える。

 ホームの末端,美幌駅寄りにスハフ42-502が停まっている。 三等車として生産された車両で乗降デッキの外側に車掌室があり,特急「つばめ」や「さくら」などに連結さえれていたらしいが改造工事を経て500番台となり北海道へ渡ってきた車両のようだ。 ライダーハウスとして使われるため屋根のベンチレータは撤去されて新しい屋根が付けられたりしているが床下はそのままのようで模型製作の資料として台車や床下機器がここまでホームがないおかげで両側とも撮影できた。

 さらに離れてキハ22-69がホームから離れ まるで美幌駅へ出発したかのような姿で停まっている。 乗降口はデッキ式になっていて 靴の金具対策のため床が板張りになっていてつまりは北海道仕様なのだが キハ21の寒さ対策が不十分でその改良型というわけだ このキハ22のあとにキハ54などが作られたが今も北海道各地にキハ22が数多く保存されていることから重宝され長く使われたのだろう。 津別町によるクラウドファンディングにて数年前に塗装修理が行われて このキハ22は他と比べれば比較的綺麗な方だが錆によると思われる剥がれがではじめているのは残念だ。

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別海町鉄道記念公園

令和7年8月11日,羽田空港からおよそ1時間半の飛行で 中標津空港に着いた。 空港から市街にある標津線中標津駅跡に出来た中標津バスターミナルまで行き そこで標津線の代替バスに乗り換えれば良いのだが,根室駅行きの空港バス以外に市街へ向かうバスはなく,さらに令和7年3月に 標津線の代替バスは標茶駅と西春別の間が廃止になって 運行も根室バスから阿寒バスに変更となっていた。 学校がある平日は朝夕の他に日中にも数本のバスが運行されていて 西春別18時ちょうど発のバスで中標津まで戻ってくることはできるが,明日以降に川北や標津へ路線バスで巡るのは現地で数時間待ちとなり効率が悪すぎるし,なにより釧路から摩周湖の南側までは快晴だったのが 中標津空港に着陸するほんの数分前から大雨となり,バスで回ることを諦めてレンタカーを借りることにした。 

中標津空港から西春別まで約30キロ西へと向かう。 中標津市街を抜けると雨が止み牧草地の中をひたすら走る,地図ではただ直線の道だが実際には起伏があり 上がったり下りたりを続けながら 30分ほどで西春別にある別海町鉄道記念公園に着いた。バス停の前に駐車場があって,別海町鉄道記念館の横にはバスの待合所らしき建物があったが 待合所にしては立派な建物でこの中にいたらバスが来てもわからないのではないかと思える。

 別海町鉄道記念公園には 手前から、樺太へ渡ったD51・ヨ3500・キ100が並び その少し先に西春別駅を模した島式ホームが作られてキハ22が停車している。D51は樺太向けにキャブに防寒対策がなされヘッドライトがとても大きく ナンバープレートの車番に[D51-27]とハイフンが入っている,樺太の鉄道は日本時代は狭軌だったため戦後もずっと狭軌のままで使われていたらしいがソ連崩壊後にロシア式の広軌に改修されていったらしい。 次のヨ4642だが形式はヨ3500で名寄のキマロキ編成でも残っているなど北海道内に相当数残っている。 ラッセル車のキ276,形式はキ100で高山市で9600と並んで保存されているなど これも各地に保存されている。

そして,これら3両とは少し離れてキハ22-239が西春別駅のホームに到着している。 実際に駅があった場所らしいがホームがこの位置だったのかはわからない。 JR化されてから標津線は廃止になったので車体にはJRの文字が入っている。 首都圏色に塗られた車体はかなり色が抜けてきていて 屋根や車体にも錆汚れなどの傷みが出ている,今のうちに補修してほしいが費用はかなりな金額になるだろうから無理か。

バス停の時刻表によると、令和7年5月現在で 標津から中標津を経て,ここ西春別駅前バスターミナルまでの阿寒バスと 別海町による地域生活バスが町立別海病院から一旦ここ西春別駅前バスターミナルへ来てから 5キロほど今きた道を西春別まで戻る路線がある。 西春別というバス停が終点だが町立別海病院から来たバスは(終点となる)西春別バス停を通って ここ西春別駅前バスターミナルへ来るため バスの行き先は西春別と表示される。 

西春別のキハ22
西春別のヨ3500
西春別のキ100

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志布志鉄道記念公園

日南線の終点 志布志駅は,いまは片式ホームに留置線が数本だけの駅になってしまっているが 以前は,大隅線や志布志線が接続する鉄道の要衝であり 志布志機関区もあった。元の駅舎跡にはショッピングセンターが建ち その東側に志布志機関区があって 今はその跡が鉄道記念公園になっている。

ワンマン運転で、この志布志駅には駅員が配置されておらず 運転士が切符の回収や運賃の精算をおこなっていた。キハ40を降りて,駅舎をそのままとおりぬけるとバスターミナルになっていた 鹿屋や都城などへのバスが発着するようだ。バスターミナルを迂回し通りを渡り,ショッピングセンターに入るいろいろなテナントが入っていて賑わっているが,先にある機関車を目指して通り抜けると屋外にうどん店があって その先にC58が見えた。

C58,志布志機関区の主力機だったらしく さよならSL運転の特別列車はC58が重連で貨車を牽いたようだ。ここに保存されているC58 112号機は 小倉式K-9型デフを備えているが,現存する車両はこれ一両ではないだろうか 他には見たことがないし存在を聞いたこともない。後ろにヨ8000が連結されていて,積み出し港としての志布志港への貨物列車も多く走ったのだろうが 志布志線や大隅線にヨ8000が使われていたのだろうか。

もう1両のキハ52は ヨ8000とは連結されていない。以前はJR九州色の白地に青線だったようだが,国鉄色に塗り直されたようで 今回訪れた時C58は塗装が痛んでいて剥がれも見られたが キハ52は綺麗に塗り直された後のようで綺麗だった。 連結器やジャンパ栓などもきちんと残っていて参考になった。

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C11 191 (宮崎市)

宮崎駅の西口を出るとバスターミナルがある。 案内所や路線図が見つからなかったので 目指す児童交通遊園に近い「橘通り四丁目」には ネットで調べておいた 西都バスセンター行きに二番乗り場から乗った。 駅前をまっすぐ進み大きな交差点を右折し「橘通り四丁目」に着いた,料金は210円だった。

 このハス亭の時刻表によると(令和7年5月3日にて) 1:宮崎神宮・304:綾・305:酒泉の杜・20,21:平和が丘・22,24,25:古賀総合病院・2:文化公園・15:イオンモール宮崎・105,106,107:高鍋・103:佐土原高校前・200:西都バスセンター・202:妻高校前・101,111:日大高校・102:石崎の杜歓鯨館・11:フェニックス自然動物園 これらのバスがここを通るが 朝だけや午前中は多くても午後は少ないなど 路線によってばらつきがある。 バスを降りて、大きな通り(国道10号線)をそのまま先へ進み 信号のある交差点を1つ過ぎて次の信号のある交差点を左折する,一方通行の道を歩いていくと右手に中学校があって この宮崎西中学校から西中正門通りという道の名が付いたようだ。 その宮崎西中学校を過ぎてその隣りが児童交通遊園で歩道からコッペルが見えてすぐわかる。

 前補機にコッペル、本務機がC11-191 という並びだが 両機の間は空いている。 塗装がかなり痛んでいる上に周りの樹木の影響なのか汚れもひどい。 手入れはしばらくされていないようだが、そろそろ修繕をしないと解体処分するしかなくなりそうだ。 コッペルは宮崎交通で使用されていたもので、ナローではなく狭軌1067ミリだが自動連結器ではなくネジ式連結器だ。 C11のデフは門司鉄ではないが経歴を調べてみると宮崎交通で走っていたコッペルとは違い,こちらは東北から九州に渡ってきてもここ宮崎区には縁がなかったようだが、石炭庫の通風穴は開いていて左右タンクの揺れ止めアーチもあるので一部九州仕様といったところか。

 帰り道、バス停まで戻ってきたが宮崎駅行きのバスがしばらく来ない、天気も良いので宮崎駅まで歩いてみたら およそ30分だった。 

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EF57 7 (宇都宮市)

 JR宇都宮駅の東口に向かい ヨーロッパのトラムを思わせる芳賀・宇都宮LRTを横目で見ながら階段を降りる。 目指す駅東公園まで歩けない距離ではないが,LRTの試乗を兼ねて利用してみることにした。

 二つのの停留所「駅東公園前」で降りるが,公園に面しているわけではない。 停留所から交差点を北上する,しばらく歩いて信号のある交差点を過ぎると右手に駅東公園があった。 EF57はちょうどこの位置から対角線の反対側にあるので公園を横切って,一旦 公園から出て通りを北上すると左手にEF57が保存されていた。 屋根があって,周囲を金網で仕切られているので保存状態は良い。また,公開日があるらしく定期的に手入れもされているのだろう。

 設置されている案内板によると EF57-7は日立製作所で完成し浜松や沼津そして長岡を経て最後は宇都宮機関区で活躍したらしい,ここへ来る時に乗ってきたLRTの宇都宮駅がある辺りが元の宇都宮機関区だったはずで旧型電気機関車のぶどう色だけでなくEF65だったろうか青とクリームの新型電気機関車も配置されていたのを東北本線を仙台に向かう「急行まつしま」などから眺めた記憶がかすかに蘇った。

 2C-C2という,デッキの下に先輪が2軸ある大きな機関車で 直線から曲線に差し掛る時に動輪を曲線に導く役目を果たしていたらしいが EF62には先輪がないので蒸気機関車ならともかく動輪が分かれている電気機関車には必要無いのかもしれない。 また,パンタグラフが2号機からは取り付け高さを低くするために車体前後ではみ出して取り付けられているのも特徴の一つだ。 EF58にも先輪はあるが蒸気暖房を搭載する改造の際に先輪の上まで車体を被せたので,旧型電気機関車の形態を残しているのはEF59に改造されたものを除くと,このEF57-7しか残っていないので大事に保存していってほしい。

 このEF57の後ろはプールになっているので,夏場などプールが営業している時にカメラを向けていると誤解されるかもしれない,またこのEF57が保存されているところは銀杏並木が続いていて年末というのにまだ匂っていた。 ここを訪れる際には季節を考慮した方が良いかもしれない。 また駐車場が無いので自動車で訪問する場合も注意が必要だ,LRTを降りてから公園まで数分,EF57の場所までも10分程度なので駐車場を探するくらいなら電車と徒歩をお薦めする。