Categories
鉄道の記録

鶴居村営軌道

釧路駅から路線バスが数本あるが平日と土日で運行が変わるようで利用する際はよく調べてからの方がよさそうだ,路線バスは釧路駅始発ではなく市立病院から来る。 連絡バスが満員になって乗り損なう事がある釧路空港からレンタカーを利用すれば釧路市街を通らずに鶴居村へ行ける。 釧路市と阿寒湖を結ぶ国道からは離れていて、釧網線の四標茶駅や摩周駅からも距離があるのでレンタカーならば鶴居村から先へそのまま向かうのが良さそうだが阿寒湖や北見方面へ抜けるには迂回するか峠越えとなる。

新富士駅から今の鶴居村役場がある辺りまで線路で結ばれていたらしく、途中の下幌呂というところで西に支線が分岐していたらしい。この廃線跡の一部が釧路湿原の遊歩道になって残っているようで、鶴居村と釧路市をつなぐ道道からは少し東側に線路が敷かれていたようだ。鶴居村役場より少し先まで路線バスは走っているが「役場前」で降りてセイコーマートのある交差点を東へと入る 診療所があってその次に目指す「ふるさと情報館」があるのだが大きな建物は目立つが案内看板は小さいものが入り口にあるだけで注意してみて行かないと行き過ぎる。この入り口からは保存されている車両が見える。

8tディーゼル機関車は札幌市にあった泰和工業製で 同じくこの会社で作られた鶴居村村営軌道の6tディーゼル機関車が丸瀬布で動態保存されていて兄弟車だがこちらは動かない。その隣りに自走客車も展示されていて出入口ドアに向かって階段があるので車内に乗ることが出来るようだ。別海村営軌道の自走客車は釧路製作所製だったが ここの自走客車は機関車と同じく泰和工業製なので 少し違う。こちらの自走客車も朝顔カプラーが付いているのでミルクゴンドラ車を牽いて走ったのかもしれない。機関車と自走客車には屋根がかかっているが 他に有蓋車が1両置いてあるが、これが機関車などよりも塗装が綺麗で訪れた時は塗装修理されてすぐだったのだろうか 小さな車輪の台車の上に大きな荷物室が乗っていてアンバランスな何とも言えない味わい深さがあった。
「ふるさと情報館」には図書室の他に展示資料室があり鶴居村営軌道の展示もあって当時使われていたミルクタンクの展示もあった。

Categories
鉄道の記録

浜中町営軌道

根室本線の茶内駅には浜中町営軌道の資料が展示されている,この茶内駅では一日に上下5本しかない列車のうち日中の4本がこの駅で列車交換を行う 2,3時間の列車待ちは見学するのに丁度良い待ち時間となるかもしれない。
当時の国鉄茶内駅の北側に簡易軌道の駅があり根室方面に牛乳工場があって引き込み線で繋がっていたらしく簡易軌道は工場の手前で左にカーブして北上していったようで 今の駅前の真っすぐな通りとはずれていたようだ。
駅前から起伏があって先は見通せないが真っすぐな道を1キロほど歩くと右側に浜中町農村運動広場というグランドと体育館があって そこの駐車場に車両が展示されている。

8tディーゼル機関車が展示されていて 他に自動客車の台車だけが置いてある。運行当時は生乳を運ぶためのミルクゴンドラの他にタンク車もあったようだが展示はされていない,この浜中町営軌道は秩父内駅から西円朱別と東円朱別へと分かれていたが東へ進路を変えて東円朱別駅へ向かっていた路線はやがて延長されて別海町の上風連駅まで走っていたらしいが,別海村営軌道の上風連駅とは別で 場所もかなり離れていたらしいが 浜中町営が別海町まで走っていたというのは面白い。

この展示されている浜中町農村運動広場だが 道路をはさんで反対側に茶内中学校があるのでレンタカーなどで訪れる際はナビにこの中学校を設定するのが良い。茶内駅はここから約1キロ離れているので市街地を通過するように案内されるおそれがある。国道44号線を走ってきてセイコーマートのある交差点を曲がるとすぐ左側に機関車が見えてくる。

Categories
鉄道の記録

別海村営軌道

根室駅から厚床駅を経由して中標津空港へのバスが近くの「奥行」を通る,他に別海町町営のバスが町立別海病院から運行しているが 空港へのバスは一日に4本で根室駅からも中標津空港からもほぼ1時間の距離で厚床駅からは15分くらいか。運行時間をよく調べてちょうど良い具合にバスが通れば良いが 厚床駅から10キロはあるので歩くには距離がありすぎるから レンタカーがお薦めだ。厚床駅の駅前から国道243号線を北上する,駅からすぐの国道44号線を過ぎて最初の信号だったと思う 途中の10キロ近く走っても信号どころか交差点すらないような快適な道をひたすら走ってくると直進が国道244号線で標津方面で、左折が弟子屈方面への国道243号線とういう標識が出て 信号を左折するとすぐ左に「奥行」というバス停がある。さらに並ぶように案内看板があって旧奥行臼駅逓所や旧奥行臼駅は左折とある,その通りに左折すると右側に旧奥行臼駅逓所が左側に旧奥行臼駅がある。 JR標津線の駅で別海村営軌道とも接続していたのだろう交通の要所だったらしいが 今は周りには他に何もなく 当時の標津線もこの奥行臼駅の次は根室本線の厚床駅だった。

そして、さらに少し進むと右側に別海村営軌道の風連線の線路跡に車両が保存されターンテーブルも残されている郷土資料館がある。JR標津線の奥行臼駅の駅前から村営軌道が道道を超えて上風連まで走っていたその線路上に保存されているのは8t自走客車(ディーゼルカー)と内燃機関車(ディーゼル機関車),そしてミルクゴンドラ車(貨車)で それぞれの名称は ここにあった案内看板によるものだ。
8t自走客車は綺麗に塗装が直されれいるが昭和38年製なので仕方がないが車体下部に錆による浮き上がりが出ていた,また車内には入ることは出来ないようだが車内が見えるように踏み台が設置してあった。内燃機関車はミルクゴンドラ車などの貨車を引いたのだろう 浜中の物とは異なりこちらは加藤製作所の6tだ。ミルクゴンドラ車には乗れるように階段が設置されてあおりも乗り降りするためにその部分のみ取り除かれている 各酪農農家から集めた生乳をこれに積んで運んだのだろうが 浜中の場合は茶臼に牛乳工場があったらいが こちら別海ではどこまで生乳を運んだのだろうか。
少し奥にターンテーブルの跡だけ丸く残っているが上風連まで延びていた線路から分岐してこのターンテーブルを通って車庫があったようで郷土資料館の裏が少し開けている。

Categories
鉄道の記録

C60 1 (仙台市)

仙台駅で在来線 中央改札口を出ると西口になる,仙台駅には西口改札はないので慣れないと注意が必要だ。駅から出るとペデストリアンデッキが広がっていて その下につまり地上にバスターミナルがある しかし目的の西口公園へ向かうバスはこのターミナルからではなく その向こうの愛宕上杉通りにある60番バス停に停まるので デッキの正面右奥に見える「ロフト」を目指して進み愛宕上杉通りの上まで行って 通りの向こう側まで渡ってビルの中で地上に降りるとそこに60番バス停がある。 地下通路を通って来た場合は「中央出口2」で地上に上がるとここに出れる。

目指すC60は西公園にあるが南北に広がる大きな公園で 地下鉄東西線ならば大町西公園駅,地下鉄南北線では当台公園駅が最寄駅となるが数百メートルあるので10分程度歩く 公園の中を北に向かう又は定禅寺通りの欅並木を歩くのも風情があるが仙台駅までJRで来て地下鉄に乗り換えるならばバスに乗った方が早くて楽だ。 仙台駅からアーケードのある繁華街など通って西公園まで歩いても30分程度なので 散歩がてら歩くのも良い。

60番バス停から「定禅寺通市役所前経由交通局東北大学病院前」行きバスに乗る。 いくつもの系統番号のバスが来るが出発地が異なるからいくつもの番号があるようで行き先の「定禅寺市役所前経由交通局東北大学病院前」というのを確かめて乗れば良く 定禅寺通りで左折して市役所の前を通るバスに乗って「市民会館前」で降りるだけだ。 定禅寺通りの西側の終わりが西公園で丁字路の交差点の名称は「市民会館前」で定禅寺通りを西に向かって歩いて行っても正面にC60が見えてくるし,バスならば丁字路を右折する際にC60が見える。

1996年に展示されるようになったころは屋根はなかったと思うが 今は屋根付きで展示されていることもあり錆なども浮いておらず綺麗ではあるが,ランボードに白線があったりするのは良いが手すりも白く塗られているてだけでなく一部の配管などが黄色に塗られているのはいかがなものかという意見が出そうだ。 模型を作る者からすると黒一色よりも個々の形状やつながりがわかりやすいので助かるのだが 展示物としては真鍮磨きだしの代わりにも黄色というのは費用の面から仕方ないのかもしれないけれど 配管は黒で良かったのでないかと思う。

キャブ内にも入れるようになっている,ここでも配管が黄色に塗られているがそれぞれのバルブが何なのか 他にも何のメーターなのかと説明が付いているのは珍しい これまで何となくそうなのだろうと思っていたものの答え合わせができた。 C59の従台車を2軸化して軸重を軽くして東北本線などで活躍したC60だが ここ仙台市に保存されている1号機だけが現存する唯一の車両となっている。

Categories
鉄道で道行

仙石東北ライン (石巻-仙台,5560D)

雨の上がった令和7年11月3日 石巻駅から仙台駅へ向かう。
石巻駅駅舎内には待合室やベンチなどはないがNewDaysはあって朝から賑わっていた。自動化された改札の脇に精算所とみどりの窓口を兼ねているような有人改札口がある,そうこの駅は無人駅ではない。改札口の正面が石巻駅では3番線となり石巻線のホームになるため架線は張られていない 線路を挟んで島式ホームの4,5番線があって さらにその北側に貨物用側線や機回し線があり,今朝も小牛田駅からディーゼル機関車DD200型に牽かれたコンテナ列車が停まっていた。3番線の小牛田駅寄り つまりは仙台駅寄りに切り欠きホームとして1番線があって仙石線が主に発着する2番線と留置線が1本南側にある 駅の南側から2,1,3,4,5とホームが並んでいて仙石線のホーム1,2番線は行き止まり式だ。

1番線には8時11分発の仙石東北ライン仙台駅行き5560D快速列車が出発時間を待っていた。車両はHB-210系 配置は小牛田運輸区なので「仙ココ」仙台駅←+→石巻駅という2両編成が2組の4両で仙台駅へと向かう [HB-E211]の石巻駅寄りにトイレがあり 全車とも一部がクロスシートとなっている。石巻駅の2番線で出発を待っていた仙石線の205系電車も4両編成でトイレも増設されているが全てロングシートだ。発車メロディが終わり定刻に5560Dは座席の9割ほどをうめて石巻駅を発車した すぐに石巻線ホーム3番線からの渡り線が右から合流してくる,そのまま石巻線が右側に並んで並走するが やがて直線になるともう1本石巻線からの渡り線があった 石巻駅の北側で機回しを行った貨物列車はここで仙石線に転線してくるようだ。仙石線はこの先で左にカーブして住宅地のなかを走り 8時13分に島式ホームの陸前山下駅1番線に着いて対向列車の到着を待つ この駅は石巻駅寄りに構内踏切があって駅舎へと渡るようになっていて20人くらい乗車してきたがそれ以上に高校生たちが降りていった。2番線に石巻駅行きが着いたのでこちらが先に8時16分に発車した ホームが終わるとが南側へ石巻港駅への貨物線が別れていった。 そのまま沿線には住宅地が続き運河を渡り蛇田駅に着いた 線路の北側に単式ホームと駅舎がある ここを出ると住宅地の中で直線区間となったのか速度を上げたので発電用エンジンが回りだしてかなり煩い,住宅地が終わらぬまま8時21分石巻あゆみ野駅に着いた 単式ホームだが住宅を整備して駅を設置したのだろう新しいし駅前にはロータリーもあり 高校生が数人下車して行き数人が乗車されてきた 陸前山下駅や石巻ゆめみ野駅の近くには高校があるのだろう,石巻駅からほとんどの乗客が仙台駅まで向かうのだろうと思っていたが 高校生が学校近くの駅まで休日でも部活動かなにかで乗車し 途中で降りていくが それと同じくらい一般の乗車があって空席は出来ないままとなった。

石巻あゆみ野駅を出るとすぐ東松島市になる、ここまで続いてきた住宅地が終わり空き地が広がる中をしばらく走ると再び住宅地となり陸前赤井駅に8時24分到着した,島式ホームの2番線に着いたが1線スルー式のようだ 構内踏切が仙台駅側にあった,数人が乗車されてきたがまだ空席がある。次の東矢本駅を8時26分に通過した この列車で初めての通過駅だ。すぐに矢本駅 島式ホームの2番線(北側で仙台駅向きでホーム右側)に8時27分到着して各車両に4,5人づつの乗車があったが石巻駅寄りにある構内踏切を見た限りでは下車客はなかった。この駅を出ると左側に国道45号線が寄ってきて並ぶ そしてその先に松島基地が見えてくる 田んぼの中を快調にエンジン音を響かせて走り鹿妻駅を8時30分に通過した 単式ホームの無人駅だが駅前に自衛隊機が展示されている。離れていった国道45号線が陸橋で線路の上を超えて行くと車窓左側には田んぼが広がるがやがて新しい住宅が建ちはじめるが駅が近づき減速しだす線路の左側つまり海側は再び田んぼとなり島式ホームの2番線に8時32分到着した おそらく2番線側は1線スルーと思われる,二人ほど下車されたがすぐには発車せず対向列車を待つ やがて到着した石巻駅行き列車が先に発車して行き こちらは8時35分に陸前小野駅を発車した。ここから左にカーブして高架となる,旧線は川までほぼ直進して川を渡ってから左にカーブして海の方へ向かっていたが今は高架で川を渡りそのまま高台へと登って松島湾から離れる。野蒜駅には定刻の8時38分に着いた,新しくなった野蒜駅も島式ホームで到着した2番線側が1線スルーになっている 高台に移設されたわけだが眼下に旧野蒜駅が見下ろせる位置にある 5人が新たな乗客となり8時39分に発車した。 右側に新興住宅地が続き新しくなった高名駅の島式ホームを通過すると坂を下って松島湾沿岸に出て陸前大塚駅へ 今は高い堤防が作られて守られているが 時々見える松島湾は穏やかな海であった 入り江を奥へと進み陸前富山駅も通過する。内陸部へと進みトンネルを一つ抜けると手樽駅となるが単式ホームをそのまま通過すると両側が田んぼになる 高城駅が近いので仙石線の乗り換えアナウンスが流れるなか住宅地となりトンネルを抜けると高城町駅の島式ホーム2番線に8時47分に着いて一人降りられていったが6人ほど乗ってこられるのが見えた 仙台駅よりに構内踏切がある こちらを待っていた仙石東北ラインの石巻駅行き快速列車が先に発車して行き 8時48分こちらも発車した。川を渡り高台にあがると右側に東北本線が近づいてきて渡り線を通りその上り線に入る しばらく仙石線と並走するがやがて仙石線は松島海岸駅へと向かっていった。この連絡線は東北本線の松島駅構内という扱いらしく乗車券上も松島駅経由となるようで高城町駅と松島駅を使って乗り換える時に この両駅で途中下車可能な乗車券であれば特例が認められているようだ。 

東北本線に入ると複線ということもあるが速度を上げて快調に走る,仙石線がこちら側の下をくぐり内陸部へと入りすぐにまた下をくぐって海側へと離れていき8時57分仙石線の陸前浜田駅の隣りを通過すると仙石線の向こうに海が広がると塩竈の町は近い。塩釜駅での松島駅や小牛田駅方面への乗り換えについてのアナウンスがあって島式ホームの1番線海側に8時57分に着いた 駅舎は海側の下がったところにある二人くらい降りていかれたようだがかなりの乗車客があって混雑してきて8時48分定刻に塩釜駅を出て右に大きく曲がると国府多賀城駅だ 9時ちょうどに相対式ホームの2番線についたが橋上駅で駅前に東北歴史博物館がある 10人ほどを乗せて9時1分に発車した。 やがて仙台港駅からDE65のディーゼル機関車に牽かれたタンク車が左から寄ってきて陸前山王駅に到着 駅舎前の単式1番線と島式ホームの2,3番線があって その3番線に9時3分に到着した 駅の南側には貨物線が複数あって仙台臨海鉄道の駅でもある陸前山王駅からも10人ほど乗車されてきた。発車後に貨物線が全て本線に合流してきたころ乗り換えのアナウンスが入った,右から利府駅からの線路が合流してきて頭上を東北新幹線が横切ると岩切駅構内となる。島式ホームが2本あり 3,4番線が東北本線用らしく9時6分にその4番線に着いた 南側に貨物側線があってコンテナ列車がこちらを待っていた。3人ほど乗せて定刻に発車するが この駅から仙台市内になっている 終点仙台駅は近い。岩切駅を出ると左手に仙台貨物ターミナル新設工事が見える すでに線路が敷かれたところもあるが完成まではもう少しかかるようだ。東仙台信号場から南側にもう1本線路が延びて複線+単線の三線区間となりJR貨物の仙台総合鉄道部 つまり元の仙台機関区があり EH500やDE10がたくさん見えて東仙台駅構内にはいる 駅舎は下り線側にあり単式1番線と2番線は島式になっているが南側の3番線はフェンスで塞がれていてこの先で左へそれて行く貨物線へと続いているようで 東北本線の上り線仙台駅寄りには戻れるようにはなっていなかった(複線の貨物線下り線路が東仙台駅3番線となる)。9時12分に4人の乗客を乗せて東仙台駅を発車した列車はやがて上下線の間に仙台車両センター通過して仙台駅へと向かう,乗り換えのアナウンスもさすがに仙台駅ともなれば新幹線や在来線各線と多方面へ列車が走るため長くなるのでかなり早いうちから始まった。仙山線が頭上を越えて左側にきて並走を始めるが東仙台信号場のように複線+単線で東北本線上り線から仙山線側への渡り線があるが仙台車両センターへの出入り用だろう、大きく左にカーブして新幹線が右側に位置を変えると仙台駅構内となる,東北本線は主に1,2番線発着のようだがこの仙石東北ラインは4番線に9時16分に着いた。 座席定員をいつの間にか上回り立って乗車される方も多くおられた,石巻駅をこの5560Dよりも26分後の8時37分発の仙石線は仙台駅に9時56分に着くことから所要時間は14分早いことになるが クロスシートに座れた場合の快適さは時間以上の物があるように感じたが 仙台駅で下車されていった方々は疲れもみせず足早やに乗り換え通路に上がっていかれた。

Categories
鉄道で道行

特急ひたち3号(品川-仙台, 3M)

 令和7年11月2日 連休中 早朝の品川駅コンコースは人の姿もまばらで そのほとんどが新幹線改札を通っていく。上野東京ラインの常磐線ホーム9,10番線へ下りると 先に出る高萩駅行きの特急ときわ51号が 各車両に数人づつ乗せて定刻に発車していった,品川駅の9番線が常磐線の特急専用で 10番線は普通電車(中距離快速)が発着する。 空いた9番線に7時21分土浦駅からの特急ときわ52号が到着した これが今回の目的である特急ひたち3号仙台駅行きとなる 仙台駅←[クハE657-16・モハE656-16・モハE657-16・モハE657-116・モハE657-116・サロE657-16・サハE657-16・モハE656-216・モハE657-216・クハE656-16]→品川駅 という編成だ。特急列車の到着を待って7時23分に10番線から土浦駅行きの普通電車が発車していった この普通電車は終着の土浦駅まで特急ひたち3号には追いつかれずに逃げ切る。車内清掃が行われている間に各車両ごとに数人づつ並び始め 7時38分車内整備が終了しドアが開いた。並んでいた乗客が乗ってしまった後のホームには静けさが戻り 時々繰り返される特急の案内だけが響いていた。客層は若い方から年配のご夫婦まで様々だが 日が良かったのか礼服を着られて引出物を持たれたご家族も数組見られたが、出張と見受けられるビジネスマンはここではおられなかった 旅行者ばかりだからか発車間際に駆け込んでくる乗客はなく 全席指定ということもありだれもが席について落ち着いたころ 前を行く特急ときわ51号よりも多くの乗客を乗せて 7時43分定刻に品川駅を発車した。
 
 速度が上がらないまま新橋駅を通過して東京駅8番線に到着,各車両に10人づつ位の乗車があって7時52分発車。続いて上野駅8番線に定刻の7時58分到着し乗務員交代があり数分停車する。上野駅でも10人くらいづつ乗車されてきて それなりの乗車率となって8時丁度に発車した。これからの停車駅などの定型アナウンスの後,車掌のアナウンスがあったが女性で聞きやすい声だった。小高駅から先まで乗車する場合はSuicaのエリアが異なり(改札を)出れないので後から車掌が回った時に車内清算をするようにと注意喚起があった。浪江駅までSuicaエリアになり,大都市近郊区間に大糸線の穂高駅からここまで含まれるようになったので経路は自由となったかわりに途中下車ができなくなった。続いて三河島駅を通過して隅田川駅への貨物線と並走すると車内販売をいわき駅まで行うとの案内があった(特急ときわには車内販売がない,特急ひたちだけある)一通りの案内放送があって,小塚原のカーブを過ぎて南千住駅を通過して直線区間になってなっても速度はあがらない,7分前に上野駅を出た土浦駅行き普通電車が前を塞いでいるとも思えないまま 時々80キロ位で走ったかと思うと30キロ位まで速度を落としたりを繰り返しているうちに金町駅手前で車掌が空席の確認に来た,柏駅に停車するので特急券の確認だろうか。江戸川を渡り千葉県に入って100キロ位まで速度を上げて8時18分松戸駅通過。北松戸駅を過ぎると上下線の間に武蔵野線への連絡線が単線で 新松戸駅を過ぎると武蔵野線からの連絡線が常磐線の下り線と上り線にそれぞれ南流山駅で分岐した側線から複線で接続する(武蔵野線は西船橋方面行きが下りになるので東京駅行きでも下り列車となる)。
 東武線が頭上を通り左側に沿うようになり島式ホームが2つ並ぶ柏駅の4番線に7時27分着 ここでは上野駅よりも乗客が多く窓側席が全て埋まるくらいになって7時28分発車。8時31分に土浦駅行き普通電車が先着していた我孫子駅の1番線を通過すると千代田線,小田急線直通の常磐線緩行線用電車が留置されている車両基地が見えてくる かつては松戸電車区所属だったが今も松戸車両センター我孫子派出所と呼ぶらしい ここを抜けてしばらく走り利根川の鉄橋を渡り茨城県に入って取手駅1番線を8時半に通過しキリンビールの工場への引込線跡が左に見えると右にカーブする,そこから両側が開けて田んぼの中の直線区間となり120キロくらいまで速度をあげる 藤代駅手前で交直流切り替え区間を通過し 龍ヶ崎市駅を過ぎて国道6号線が左から寄ってくると列車は速度を上げて130キロで快走する。ひたち野うしく駅付近で上り特急ひたち4号とすれ違う どちらもかなりの速度が出ているので車両の色で特急と判った。やがて土浦駅の単式1番線に8時50分着 この駅止まりの普通電車は島式ホームの2番・3番線に入るものがある。一人,二人の乗客を各車両に乗せて8時51分の1分遅れで発車すると上下線の間が土浦車両センターとなり中距離電車が何本も留置されているのを眺めながら右にカーブして上下線が一緒になり蓮畑の中を130キロで運転して神立駅を通過,普通電車を高浜駅で待たせて切通しを通過するが ここは常磐線を工事する時に土浦駅付近の埋め立てに使うためトンネルではなく切通しにして出た土を土浦駅の工事に使ったらしい。 特急ひたちなので石岡駅を通過する 岩間駅近くで特急電車とまたすれ違う 30分に1本づつ特急が走っている区間では30分ごとに繰り返されるわけだ。左側から水戸線が近づいてきて友部駅構内になるがここも停車はせず9時9分通過する 内原の車両センターを通過するあたりで130キロ出すかと思ったが120キロまでだった。

 偕楽園の臨時駅を通過して千波湖が右手に見えると水戸駅は近い,水郡線のE130が留置されているのを左りに見ながら4番線に定刻に回復して9時18分到着。切欠ホームの1番線と2番線が水郡線用で常磐線下り用3,4番線と上り用5,6番線が島式ホームで同じく島式で上り特急専用の7番線と切欠の鹿島臨海鉄道の8番線がある大きな駅だ。 ここからも一人,二人と乗客があるが5人から10人くらい下車されていき9時20分発車 最初に左に水郡線が離れて行き 並走していた鹿島臨海鉄道線が高架になって右に上がっていくとやがて桜川に沿って走り那珂川を渡り緩い登りを苦にせず進み9時23分勝田駅4番線駅に到着 ここで乗務員が交代するので2分停車、その間に各車両に一人二人と乗ってこられて5,6人が下車されていった。発車後しばらくすると左側に留置線と勝田車両センターが見える,久慈川を渡り大甕駅近くで風力発電の風車が見えて9時37分常陸多賀駅1番線に着いた ここは地上駅で1番線が単式で改札口があり島式ホームの2,3番線へは跨線橋で渡る ホームには数人列車を待っていて降車されていったのも数人だったが連休中なのでビジネス客は皆無だからだろう。 家の間から海が見え始めて海が近くなると 島式の1,2番線下りホームと単式の3番線上りホームがある日立駅に9時41分1番線に到着 この駅は海に近く駅舎内に海に面した展望台があって朝日が昇る時はとても綺麗だと評判だ。 ごくわずか数人の乗車と下車があってすぐに発車した。十王駅の手間で初めてのトンネルを通る 比較的平坦な常磐線は蒸気機関車時代には東北本線よりも優等列車が走っていたがトンネルの長さや数も影響したのかもしれない 海が時々みえるがやがて市街地になって高萩駅を通過するが右手の留置線に朝,品川駅で見送った特急ときわ51号が折り返し運転を待って留置されていた。9時55分に茨城県内最後の停車駅となる磯原駅に9時55分到着した 相対式の駅1番線着で数人下車されて一人乗ってこられた。大津港駅を通過するといよいよ福島県に入る。

 再び海が国道6号線越しに見える海岸線に出ると福島県だ。 10時12分に泉駅島式ホーム3番線に着いたが乗車下車ともわずかだったようだ 構内には貨物用留置線が数本あるがいわゆる安中貨物というニッケル輸送の貨物列車がなくなり今はコンテナ列車が1本だけ走っているが日曜日は運休なので今日は走っていない。震災前は常磐線を通り仙台方面へ貨物列車が走っていてたが 今はここ泉駅までになっている。泉駅を出ると左側にあった貨物線が1つにまとまり常磐線の下をくぐって小名浜港へ向かう福島臨海鉄道線となる。この辺も常磐炭田が数多くあった場所で その石炭採掘のおかげで源泉が枯渇してしまったという湯本温泉に近い湯本駅には10時17分 地上駅で改札口のある単式ホームの1番線に着いた 2,3番線は島式の上り線ホームとなる 10人くらい下車していかれたが乗車はなかった。次の内郷駅を出て今は綺麗な住宅が並んでいるところに内郷機関区があってEF80が配置されていたが今はその面影はまったくない そのような車窓を眺めているうちに左側から磐越東線が近づいてきてしばらく並走しトンネルを抜けるといわき駅構内に入る。10時23分定刻着 島式ホームが3本,常磐線上り用から磐越東線まで2本づつ並んでいて特急ひたち3号は4番線に着いて 乗っていた半数くらいの乗客が降りていかれて各車両に4,5人乗って来られた 乗務員交代が完了して10時25分発車した。日立駅からいわき駅までは最高運転速度が120キロだったがここからは100キロになるが速度よりも安全に走れることが一番である。
 10時33分四ツ倉駅通過 ここから単線となりトンネルに入る。 トンネルを抜けると海岸に出て久ノ浜駅となるが この久ノ浜駅は津波で駅舎が流されている そうここから先が震災で大きな被害を受けたところになる 次の末続駅は高台にあり木造駅舎までは津波が来なかったらしい 海が綺麗に見える駅だけはそのままだった。そして同じく駅から海の見えた広野駅に10時42分到着したが下車された方も乗車された方も居ない無人駅だ。1番線が駅舎のある単式ホームで下り線で 跨線橋で渡っていく島式上りホームの2,3番線で上りの特急ひたちが行き違いのため停車していた。津波被害の大きかった駅の東側にも住宅だけではなくビルも建っているがまだまだ空き地が目立つ。広野駅から複線となり広野火力発電所を右手に見るとJビレッジ駅を通過して木戸駅にて複線区間が終わる 震災からの復旧後はここから岩沼駅で東北本線に入るまで複線区間は無くなった。

 単線になって竜田駅を過ぎてトンネルを抜けると右にあるのが福島第二原子力発電所 富岡駅まではすぐだ。発電所も近いが なにより海に近いところにあった為に津波は線路を超えて駅舎を流して より奥まで行ったらしく新しい街が線路の西側にもできつつあったが、海側となる東側はワイナリーが出来てブドウ畑が広がっていた 新しい試みなのだろう そのような富岡駅駅舎のある1番線に10時57分到着 上り線は島式の2,3番線となっている新しい駅だが乗降客はおれれなかったようだ。対向列車が待っていた夜ノ森駅を通過して11時6分島式ホームの上り線側を廃して単式とした大野駅に着いたがここでも乗降客は見られなかった。大野駅から双葉駅までは複線だったが上り線のあったところを避難路とするために舗装されていて道路のようだが外とはフェンスで区切ってあり普段は利用できないようだ。大野駅には津波被害はなかったようだが福島第一原子力発電所に一番近い駅なので復旧工事開始まで数年を要してしまって常磐線の不通区間として最後まで残った地域である。やがて到着した双葉駅も単線化となり相対式ホームの下り線側だけとなり上下線の間にあった中間待避線もなくなり元の上り線ホームは形だけ残っていた そのような双葉駅1番線に11時11分到着,ここでは数人が下車されていった 駅舎は東西両方とも綺麗に再建されたが無人駅である。3駅続けて停車となる浪江駅は駅舎が東側(海側)にあり駅舎前の1番線と島式ホームの2,3番線となり その2番線に11時16分について二人下車されて二人が乗車された。この浪江駅までがSuicaの首都圏エリア内で また運賃計算の東京近郊区間最北端となるので乗車券を買って乗る場合は有効期限が1日となるのでルートによっては新幹線を一部区間利用するかエリア外となる隣の駅からあるいは先の駅まで買った場合の料金と途中下車する予定の駅で分割して購入した場合の料金などを調べてみると良いかもしれない。発車するともう1度Suicaのエリア外となるため車内清算するようにとのアナウンスがあって次の桃内駅を11時21分に通過した 島式ホームの片側を廃した相対式の駅だ。小高駅からはSuicaの仙台エリアとなるがこの駅には中間線があって貨物列車の待避があったのだろうか。11時31分定刻に原ノ町駅到着 駅舎のある1番線に着いて二人下車されて一人乗ってこられた。仙台駅といわき駅との間に普通電車がここで折り返し運転をしており そのための留置線が2,3番線の島式ホームの向こうに見えた 停まっていたのは701系だろうか仙台駅との往復に使われている普通電車だ。つぎの鹿島駅は旅客ホームが終わっても線路はわかれていてこの長さがあれば貨物列車が待避できるのでないだろうか などと考えていると遠くに風力発電の風車が見えた。日立木駅では上り普通電車が待っていてくれて,11時47分相馬駅1番線に到着3人ほど下車された。相対式ホームで中間線もあるが使うことは今のところはないのだろう ここを出ると次は終着の仙台駅だ。乗っている車両では品川駅から乗り通している方は他に居られず 途中の水戸駅やいわき駅などから乗られた方ばかりで旅行というよりは帰省という感じで大きなスーツケースが見当たらないので通路や最後部の座席後ろもふさがっていないので快適で なによりグループ客が居られないので静かなので長時間の乗車も快適に過ごせそうだ。

 駒ヶ嶺駅を通過して森を抜け田畑が広がり住宅が左側に見えてきたところの踏切から線路は左へカーブする。右側にはまっすぐに線路があったような痕跡が続いているがそこが元の常磐線だ。上り普通電車が停車していた新地駅は津波で流されたらしいが乗っていた警察官が乗客を高台まで避難させ乗務員は跨線橋に上がっていて無事だったと聞く。その新地駅を11時54分に通過した,相対式の駅だが通過した1番線は一線スルーになっていた。 少し走って川を渡ると宮城県になる 少しづつ左へカーブして海から離れて内陸部へ入っていくが途中で右側に旧山元町立中浜小学校が見える 二階の屋根まで津波が押し寄せたらしいが高台への避難は困難だと判断して屋根上や屋根裏などへ避難して全員無事だったことを後世に伝えるための施設として残されているものだ。そこからさらに内陸部に入っていくが森を抜けると高架となりそのまま単式ホームの坂元駅を通過する 元の坂元駅も津波で流されてしまっているがそこからはかなり内陸部に新しい駅はある。高架線が続きそのままトンネルに入りまた高架線を走ると線路の西側に住宅地が広がって山下駅を通過する 島式ホームだが一線スルーになっているようだ。 ここから右にカーブして元の常磐線の位置に戻り震災でも残った古い駅舎がある浜吉田駅を通過した。亘理駅手前で上下線が分かれてさらに中間線も出来て貨物列車の待避も出来る駅だが それよりも駅の東口にお城を模した郷土資料館があって目立つ。

 阿武隈川を渡ると左側に走る東北本線に沿う 仙台駅はもうまもなくだ。東北本線と並んで走るうちに右側に貨物線が合流しそのまま貨物駅があって岩沼駅構内に入る 東口の駅舎前が単式ホームの1番線で常磐線上り専用 島式ホームの2番線が常磐線の下り仙台方面となり特急ひたち3号もここを通過した,反対側の3番線が東北本線の上り線で東北本線の下りは4,5番線島式ホームとなっている。東北本線に入り最高速度も120キロとなるため速度があげて北上する 上下線の間に仙台空港への連絡線が入ってくると名取駅だ,この辺りから住宅地が途切れることはなくなり仙台市に入って南仙台駅を通過し 仙台駅到着と乗り継ぎ列車の案内放送が始まったころ名取川を渡る するとこの鉄橋のところで左から東北新幹線が近づいてきて並走しはじめ東北本線も高架になる 今は再開発されているが長町駅の東側にはヤードや機関区があったことを思い出していると広瀬川を渡る。すると右に貨物線が離れていきビルに囲まれた中を走り仙台駅構内でポイントを渡ることもなく1番線に定刻の12時28分に到着した。 座席定員の半分までは乗っていなかったようだがそれでも普通車9両とグリーン車1両からは大勢のお客さんが降りてこられエスカレーターに長い行列ができた。

Categories
鉄道の記録

北見相生鉄道公園

 令和7年8月12日 中標津の町からレンタカーで西へ向う。 今日は数ヶ所周る予定だが まずは阿寒湖を越え北見相生まで およそ100Kmの道のりだ。 阿寒湖までは釧路駅や釧路空港から路線バスがある,しかし阿寒湖から先の釧北峠を越える路線バスはない。 旭川から北見を経て釧路へ向かう高速バスは通っているが北見相生には停車しないようで、また津別町営のバスは地元の方々のために運行しているらしく 北見相生鉄道公園へ公共交通機関でたどり着くのは事実上不可能と思える。

 弟子屈を抜けて 釧路からの国道に出るとやがて阿寒湖畔,そのまま通過するとやがて足寄へ下りていく国道が左へ分かれると釧北峠になるが、大型トラックも多く行き交う国道はきれいに整備されていて渋滞どころか信号待ちもないので順調に走り,中標津を出てから,途中休憩や買い物をしても約2時間で北見相生に着いた。 国道脇に道の駅があるが火曜日は定休日で閉まっていたが、トイレは使えるように閉めていないようだ。 この道の駅の奥に林の影になって鉄道公園があった。

 相生線の終点駅だった元の北見相生駅ホームから先に機回し線が伸びていて そこにキ703ジョルダン除雪車が羽を広げていて 当時の姿を思い起こさせる。近代化改造をされていない車両でヨンサントウの時時速65キロの制限を受ける貨車となり黄色帯が着いている。 ホームに沿ってワフ29574,ワム180455,トラ74509と貨車が繋がっていて元北見相生駅駅舎の改札口正面は白樺並木が見えるようになっているが,この並木のところにも当時は引き込み線があって転車台や車庫につながっていたのではないだろうか。 道の駅の北側に線路跡が残っていてその先が空き地になっているのが転車台跡と思える。

 ホームの末端,美幌駅寄りにスハフ42-502が停まっている。 三等車として生産された車両で乗降デッキの外側に車掌室があり,特急「つばめ」や「さくら」などに連結さえれていたらしいが改造工事を経て500番台となり北海道へ渡ってきた車両のようだ。 ライダーハウスとして使われるため屋根のベンチレータは撤去されて新しい屋根が付けられたりしているが床下はそのままのようで模型製作の資料として台車や床下機器がここまでホームがないおかげで両側とも撮影できた。

 さらに離れてキハ22-69がホームから離れ まるで美幌駅へ出発したかのような姿で停まっている。 乗降口はデッキ式になっていて 靴の金具対策のため床が板張りになっていてつまりは北海道仕様なのだが キハ21の寒さ対策が不十分でその改良型というわけだ このキハ22のあとにキハ54などが作られたが今も北海道各地にキハ22が数多く保存されていることから重宝され長く使われたのだろう。 津別町によるクラウドファンディングにて数年前に塗装修理が行われて このキハ22は他と比べれば比較的綺麗な方だが錆によると思われる剥がれがではじめているのは残念だ。

Categories
鉄道の記録

別海町鉄道記念公園

令和7年8月11日,羽田空港からおよそ1時間半の飛行で 中標津空港に着いた。 空港から市街にある標津線中標津駅跡に出来た中標津バスターミナルまで行き そこで標津線の代替バスに乗り換えれば良いのだが,根室駅行きの空港バス以外に市街へ向かうバスはなく,さらに令和7年3月に 標津線の代替バスは標茶駅と西春別の間が廃止になって 運行も根室バスから阿寒バスに変更となっていた。 学校がある平日は朝夕の他に日中にも数本のバスが運行されていて 西春別18時ちょうど発のバスで中標津まで戻ってくることはできるが,明日以降に川北や標津へ路線バスで巡るのは現地で数時間待ちとなり効率が悪すぎるし,なにより釧路から摩周湖の南側までは快晴だったのが 中標津空港に着陸するほんの数分前から大雨となり,バスで回ることを諦めてレンタカーを借りることにした。 

中標津空港から西春別まで約30キロ西へと向かう。 中標津市街を抜けると雨が止み牧草地の中をひたすら走る,地図ではただ直線の道だが実際には起伏があり 上がったり下りたりを続けながら 30分ほどで西春別にある別海町鉄道記念公園に着いた。バス停の前に駐車場があって,別海町鉄道記念館の横にはバスの待合所らしき建物があったが 待合所にしては立派な建物でこの中にいたらバスが来てもわからないのではないかと思える。

 別海町鉄道記念公園には 手前から、樺太へ渡ったD51・ヨ3500・キ100が並び その少し先に西春別駅を模した島式ホームが作られてキハ22が停車している。D51は樺太向けにキャブに防寒対策がなされヘッドライトがとても大きく ナンバープレートの車番に[D51-27]とハイフンが入っている,樺太の鉄道は日本時代は狭軌だったため戦後もずっと狭軌のままで使われていたらしいがソ連崩壊後にロシア式の広軌に改修されていったらしい。 次のヨ4642だが形式はヨ3500で名寄のキマロキ編成でも残っているなど北海道内に相当数残っている。 ラッセル車のキ276,形式はキ100で高山市で9600と並んで保存されているなど これも各地に保存されている。

そして,これら3両とは少し離れてキハ22-239が西春別駅のホームに到着している。 実際に駅があった場所らしいがホームがこの位置だったのかはわからない。 JR化されてから標津線は廃止になったので車体にはJRの文字が入っている。 首都圏色に塗られた車体はかなり色が抜けてきていて 屋根や車体にも錆汚れなどの傷みが出ている,今のうちに補修してほしいが費用はかなりな金額になるだろうから無理か。

バス停の時刻表によると、令和7年5月現在で 標津から中標津を経て,ここ西春別駅前バスターミナルまでの阿寒バスと 別海町による地域生活バスが町立別海病院から一旦ここ西春別駅前バスターミナルへ来てから 5キロほど今きた道を西春別まで戻る路線がある。 西春別というバス停が終点だが町立別海病院から来たバスは(終点となる)西春別バス停を通って ここ西春別駅前バスターミナルへ来るため バスの行き先は西春別と表示される。 

西春別のキハ22
西春別のヨ3500
西春別のキ100

Categories
鉄道の記録

志布志鉄道記念公園

日南線の終点 志布志駅は,いまは片式ホームに留置線が数本だけの駅になってしまっているが 以前は,大隅線や志布志線が接続する鉄道の要衝であり 志布志機関区もあった。元の駅舎跡にはショッピングセンターが建ち その東側に志布志機関区があって 今はその跡が鉄道記念公園になっている。

ワンマン運転で、この志布志駅には駅員が配置されておらず 運転士が切符の回収や運賃の精算をおこなっていた。キハ40を降りて,駅舎をそのままとおりぬけるとバスターミナルになっていた 鹿屋や都城などへのバスが発着するようだ。バスターミナルを迂回し通りを渡り,ショッピングセンターに入るいろいろなテナントが入っていて賑わっているが,先にある機関車を目指して通り抜けると屋外にうどん店があって その先にC58が見えた。

C58,志布志機関区の主力機だったらしく さよならSL運転の特別列車はC58が重連で貨車を牽いたようだ。ここに保存されているC58 112号機は 小倉式K-9型デフを備えているが,現存する車両はこれ一両ではないだろうか 他には見たことがないし存在を聞いたこともない。後ろにヨ8000が連結されていて,積み出し港としての志布志港への貨物列車も多く走ったのだろうが 志布志線や大隅線にヨ8000が使われていたのだろうか。

もう1両のキハ52は ヨ8000とは連結されていない。以前はJR九州色の白地に青線だったようだが,国鉄色に塗り直されたようで 今回訪れた時C58は塗装が痛んでいて剥がれも見られたが キハ52は綺麗に塗り直された後のようで綺麗だった。 連結器やジャンパ栓などもきちんと残っていて参考になった。

Categories
鉄道の記録

C11 191 (宮崎市)

宮崎駅の西口を出るとバスターミナルがある。 案内所や路線図が見つからなかったので 目指す児童交通遊園に近い「橘通り四丁目」には ネットで調べておいた 西都バスセンター行きに二番乗り場から乗った。 駅前をまっすぐ進み大きな交差点を右折し「橘通り四丁目」に着いた,料金は210円だった。

 このハス亭の時刻表によると(令和7年5月3日にて) 1:宮崎神宮・304:綾・305:酒泉の杜・20,21:平和が丘・22,24,25:古賀総合病院・2:文化公園・15:イオンモール宮崎・105,106,107:高鍋・103:佐土原高校前・200:西都バスセンター・202:妻高校前・101,111:日大高校・102:石崎の杜歓鯨館・11:フェニックス自然動物園 これらのバスがここを通るが 朝だけや午前中は多くても午後は少ないなど 路線によってばらつきがある。 バスを降りて、大きな通り(国道10号線)をそのまま先へ進み 信号のある交差点を1つ過ぎて次の信号のある交差点を左折する,一方通行の道を歩いていくと右手に中学校があって この宮崎西中学校から西中正門通りという道の名が付いたようだ。 その宮崎西中学校を過ぎてその隣りが児童交通遊園で歩道からコッペルが見えてすぐわかる。

 前補機にコッペル、本務機がC11-191 という並びだが 両機の間は空いている。 塗装がかなり痛んでいる上に周りの樹木の影響なのか汚れもひどい。 手入れはしばらくされていないようだが、そろそろ修繕をしないと解体処分するしかなくなりそうだ。 コッペルは宮崎交通で使用されていたもので、ナローではなく狭軌1067ミリだが自動連結器ではなくネジ式連結器だ。 C11のデフは門司鉄ではないが経歴を調べてみると宮崎交通で走っていたコッペルとは違い,こちらは東北から九州に渡ってきてもここ宮崎区には縁がなかったようだが、石炭庫の通風穴は開いていて左右タンクの揺れ止めアーチもあるので一部九州仕様といったところか。

 帰り道、バス停まで戻ってきたが宮崎駅行きのバスがしばらく来ない、天気も良いので宮崎駅まで歩いてみたら およそ30分だった。